「三国同盟と三国協商って何が違うの?国の名前がごちゃごちゃして覚えにくい…」
そんな中学生の疑問や不安を解消するために、この記事では三国同盟と三国協商の違いや国名の覚え方、年号、目的を丁寧に解説します。
また、定期テストや高校入試に頻出の一問一答・記述問題の対策問題も収録しているので、この記事1つでしっかり得点力アップが狙えます!
歴史が苦手な人も、語呂合わせや図解で楽しく理解できる構成になっているので、ぜひ最後まで読んでみてください。
第一次世界大戦(1914年〜1918年)の前、ヨーロッパでは国どうしの関係がどんどん悪くなっていきました。その中で、大きく分けて「三国同盟」と「三国協商」という2つのグループができ、世界を巻き込む大戦争の原因になったのです。
ここでは、その2つのグループがどうしてできたのか、どんな国が参加していたのかを、図や語呂合わせなしでも覚えられるよう、わかりやすく解説します。
19世紀後半から20世紀初めにかけて、ヨーロッパでは帝国主義(ていこくしゅぎ)が広がり、国どうしが植民地や勢力を広げようとして対立するようになりました。
特に注目すべき点は次の3つです。
こうした背景から、「仲間をつくって、戦争になっても味方がいるようにしよう」という考えから、同盟や協商が生まれたのです。
三国同盟(さんごくどうめい)は、1882年に
☑覚え方:ド・オ・イ(ドイツ、オーストリア、イタリア)
つまり、敵が攻めてきたときに助け合う「軍事的な守り」のためのグループでした。
三国協商(さんごくきょうしょう)は、1907年に
☑覚え方:イ・フ・ロ(イギリス、フランス、ロシア)
※こちらは「同盟」とはちがい、「協商(話し合いで協力)」という形ですが、ほぼ同じように戦争への備えの意味を持つものでした。
こうして、三国同盟に対抗するかたちで、三国協商ができたのです。
つまり、三国同盟が先、三国協商があとです。
両方のグループは、おたがいににらみ合っていました。
世界の強国を二つに分けるような形で対立していたため、ちょっとした事件が大戦につながる爆発力をもっていたのです。
この緊張状態が「ヨーロッパの火薬庫(バルカン半島)」での事件をきっかけに、第一次世界大戦へと発展します。
三国同盟・三国協商は、似たような名前で混乱しやすいうえに、国名の組み合わせを覚えるのが苦手な人が多い範囲です。
ここでは、テストでしっかり点を取れるように、カンタンで覚えやすい方法を紹介します。
三国同盟を結んだ国は、以下の3つです。
順番は気にせず、「イ・ド・オ」という頭文字で覚えるとスッキリ記憶できます!
三国協商に参加した国は、以下の3つです。
こちらは「イ・フ・ロ」でしっかり覚えましょう!
頭文字だけだと不安な人や、もっと印象に残る覚え方が欲しい人には、「語呂合わせ」がおすすめです!
ここでは、現役塾講師が教えている定番の語呂合わせを紹介します。
☑「井戸を掘るイタリア人とドイツ人とオーストリア人」
→「イ・ド・オ」がすべて入っていて覚えやすい!
☑「イフロに入った英・仏・ロシアの三国」
→「イフロ=お風呂」と重ねて覚えるのがコツ!
☑テスト中、「あれ?どっちが協商だっけ?」となったら、「お風呂(イフロ)」=協商とすぐ連想できるようになります。
実際に塾の生徒が作ってくれた「ちょっと笑える」「でも記憶に残る」オリジナル語呂も紹介します。
☑「イタリア人、ドイツに旅行、オーストリアで迷子」
→ イ・ド・オ の順に国が出てくるので、そのまま丸暗記!
☑「イギリスとフランス、ロシアで温泉旅行(イフロ)」
→ 旅行・温泉というストーリー仕立てで記憶に残る!
☑まとめ:覚え方のコツ3か条
→ A:三国同盟
→ A:三国協商
→ A:三国同盟
→ A:三国協商
→ A:フランスなどの敵国に備えた軍事的な守り
→ A:ドイツの軍事的な脅威に対抗するための協力
※なお、もっと一問一答問題を解きたい人向けに、以下の記事に多数問題を掲載しています。
【中3歴史の問題】第一次世界大戦の一問一答
☑よくある間違い:
☑間違えないためのコツ:
※テストでは「次の3か国が結成したのはどちら?」という選択問題や、「〇年に結成されたのは?」という年号に関する設問がよく出ます!
【出題例】
「三国同盟と三国協商の違いについて、国名や目的にふれて説明しなさい。」
【模範解答】
三国同盟は1882年にドイツ・オーストリア・イタリアが結んだ軍事同盟で、フランスなどの敵に備えるためだった。三国協商は1907年にイギリス・フランス・ロシアがドイツに対抗するために結成した協力関係である。
【出題例】
「三国同盟と三国協商が第一次世界大戦のきっかけになった理由を、対立構造にふれて説明しなさい。」
【模範解答】
ヨーロッパで三国同盟と三国協商という二つの対立するグループができたことで緊張が高まり、バルカン半島での事件をきっかけに第一次世界大戦が始まった。
キーワード | 意味・ポイント |
---|---|
三国同盟 | ドイツ・オーストリア・イタリアの軍事同盟(1882年) |
三国協商 | イギリス・フランス・ロシアの協力関係(1907年) |
軍事同盟 | 戦争のとき助け合う約束 |
対立構造 | 大国が2つのグループに分かれて争う状態 |
第一次世界大戦 | 三国同盟・協商の対立が原因で起きた世界的戦争 |
ここでは、授業や塾で中学生がよく聞いてくる質問をQ&A形式で解説します。
「ちょっと疑問に思ったこと」「テストに出るか微妙だけど気になること」なども、スッキリ解消しておきましょう!
A:どちらも“悪”ではありません。対立していた関係なだけです。
歴史の授業では「三国同盟と三国協商が対立していた」と教わりますが、どちらかが正義でどちらかが悪ということではありません。
たとえば:
それぞれに「国を守る理由」があり、現代の視点からは一方的に悪とは言えないのです。
A:はい、大きく関係しています。きっかけとなった要因の一つです。
三国同盟と三国協商という2つの陣営がヨーロッパでにらみ合う構図が生まれたことで、少しの事件でも戦争につながる状態になっていました。
実際に、サラエボ事件(1914年)という小さなきっかけから、両陣営が次々に参戦し、世界大戦に発展しました。
ポイント:「対立構造の固定化」が戦争を止められない状態を生み出してしまったのです。
A:イタリアは三国同盟に入っていたけれど、第一次世界大戦では協商側に寝返りました。
その理由は以下の通りです:
そのため、イタリアは1915年に協商側として参戦しました。
この行動を「イタリアの裏切り」と表現することもありますが、当時の国益を考えた“戦略的な判断”だったともいえます。
歴史的な内容は「ただ暗記する」だけでなく、正しい理解・背景・出典のある情報が大切です。
ここでは、この記事がなぜ信頼できるかをご紹介します。
指導歴:25年以上(1999年〜現在)
保護者の方へ:お子さまが「歴史が苦手」「用語を覚えられない」と悩んでいる場合も、この記事で紹介している方法(語呂・図解・対比記述)は実際の授業で効果が出ています!
※出典や年号は最新の教科書・教育指導要領に基づいて記載しています。
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