中学歴史の定期テストでよく出る「大正デモクラシー」。
言葉は聞いたことがあっても、「何がどう変わったのか」「どんな人が関わったのか」など、なかなかイメージしにくい単元ですよね。
そこでこの記事では、大正デモクラシーの意味や背景、登場人物、具体的な出来事までをわかりやすく解説します。
また、普通選挙法・治安維持法のようなテスト頻出の年号や用語、入試に向けた記述・一問一答問題も紹介!
「よくわからない」を「しっかり理解できた!」に変える学習サポート記事です。
大正デモクラシーとは、大正時代(1912〜1926年)に日本で広がった「国民の声を政治に反映させよう」という動きのことです。
これまでの政治では、一部の人(お金持ちや高い身分の人)だけが政治に関わっていましたが、大正時代には「もっと多くの国民が政治に参加すべきだ」という考え方が強くなり、さまざまな改革や運動が起こりました。
この時期(大正時代:1912-1926年)には、選挙のしくみが変わったり、政党内閣が生まれたり、「民本主義(みんぽんしゅぎ)」という考え方が広がったりしました。
デモクラシー(democracy)とは、簡単に言うと「みんなで政治をする」という考え方です。
ギリシャ語が語源で、「デモス(人民)」と「クラティア(支配)」からできています。つまり、「国民が主役の政治」という意味です。
昔の日本では、天皇や一部のえらい人たちが政治を決めていましたが、デモクラシーの考えでは、国の方針をみんなの意見で決めていこうとするのが特徴です。
中学生のみなさんが知っておくべきなのは、
➡ 「デモクラシー=民主主義」=国民が政治に参加すること
という基本の意味です。
大正時代は、1912年から1926年までのたった14年間の時代ですが、日本の政治が大きく変わった重要な時期です。
つまり、大正時代は、明治の「お上(政府)まかせ」から、国民が意見を言える社会へ変わっていく時代でした。
大正デモクラシーが広がった理由は、いくつかの社会の変化と出来事が関係しています。
大正天皇は病弱だったため、政治の中心が内閣や政党に移っていきました。
これによって、軍部や天皇中心の政治ではなく、国会や政党が力を持ちやすくなりました。
戦争に勝って国が強くなったことで、国民の間に「自分たちも政治に参加したい」という気持ちが強くなりました。
→ 「納税して戦争にも協力したのだから、政治に口を出したい」という考えが広まったのです。
明治時代から学校教育が広まり、中学や高等教育を受ける人が増えたことで、政治に関心をもつ人が増えました。
特に知識人の間では、自由や権利を大切にする民主的な考え方が流行しました。
第一次世界大戦後、世界中で民主主義の動き(国民の自由と権利を尊重する政治)が強くなりました。
→ 日本もその影響を受けて、政治を変える必要性が高まりました。
大正デモクラシーの時代には、「国民の声を政治に反映させよう」という考えがいっきに広がりました。
その中で、特に定期テストでよく出る重要ポイントは次の3つです:
それぞれ、具体例や重要人物とあわせてわかりやすく説明します。
※以下のサイトを参考にしています。
Try It「5分でわかる!大正デモクラシー」
「普通選挙法(ふつうせんきょほう)」とは、満25歳以上のすべての男子に選挙権(投票できる権利)をあたえる法律です。
この法律が1925年にできたことで、日本ではじめて「お金持ちじゃなくても」政治に参加できるようになりました。
☑ポイント:
これは、「国民の声をもっと反映させよう」という大正デモクラシーの考えを実現した、とても大きな一歩でした。
普通選挙が始まる前は、「制限選挙(せいげんせんきょ)」というしくみでした。
➡ 制限選挙では、「多くの税金を納めている男性」しか選挙に参加できませんでした。
このため、お金持ちや地主(じぬし)など、一部の人だけが政治に関わっていたのです。
☑ちがいまとめ:
種類 | 選挙できる人 | 内容 |
---|---|---|
制限選挙 | お金持ちの男子のみ | 一部の人にだけ許された選挙制度 |
普通選挙 | 満25歳以上のすべての男子 | お金に関係なく広く国民に選挙権 |
定期テストでは「制限選挙から普通選挙に変わった理由」や「それぞれのちがい」を問われやすいです。
1918年、原敬(はらたかし)が首相になり、初めての「本格的な政党内閣」を作りました。
原敬は「立憲政友会(りっけんせいゆうかい)」という政党のリーダーで、多くの国民から支持されていました。
これまでの内閣は、天皇や軍人などがえらんだ人たちで作られていましたが、原敬内閣では選挙で選ばれた政党が中心となって政治をおこなったため、これを「政党内閣」とよびます。
☑ポイント:
※原敬は、駅で暗殺されるという事件(1921年)によって、政党内閣は一時的に弱体化しますが、のちの政党政治の土台になりました。
吉野作造(よしのさくぞう)は、大正時代を代表する学者で、「民本主義(みんぽんしゅぎ)」という考え方を広めました。
▶ 民本主義とは?
「政治は国民のために行うべきだ」という考えです。
ここで大切なのは、「国民が主人公になる政治(国民の本=民本)」という意味で、民衆が政治の中心にいるべきという考え方です。
注意:
吉野作造は、「言論の自由」や「選挙の平等」も重視していて、大正デモクラシーの思想的な中心人物でした。
美濃部達吉(みのべたつきち)も、大正時代の重要な学者です。
彼は、「天皇機関説(てんのうきかんせつ)」という考え方を発表しました。
▶ 天皇機関説とは?
「天皇は日本という国のために働く1つの機関(役割)である」という考えです。
つまり、天皇がすべてを決めるのではなく、国家の法律や国会が中心となって政治を動かすべきという意味です。
この考えは、当時の憲法(大日本帝国憲法)に新しい解釈を加えたもので、民主的な政治を支持する内容でした。
☑ポイント:
項目 | ポイント | 重要人物 |
---|---|---|
普通選挙の実現 | 1925年に男子すべてに選挙権 | – |
政党内閣の成立 | 1918年、原敬の立憲政友会 | 原敬 |
民本主義の広がり | 国民が主人公の政治を目指す | 吉野作造・美濃部達吉 |
人物名 | 役割・ポイント | よく出る内容 |
---|---|---|
原敬(はら たかし) | 初の本格的な政党内閣をつくった首相 | 1918年に立憲政友会の党首として首相に就任。庶民出身の首相としても有名。 |
吉野作造(よしの さくぞう) | 民本主義をとなえた学者 | 「政治は国民のために行うべきだ」と主張。大正デモクラシーの代表的思想家。 |
美濃部達吉(みのべ たつきち) | 天皇機関説をとなえた学者 | 「天皇は国家の機関のひとつ」と主張し、立憲政治を理論づけた。 |
定期テストでは、「この人物が何をしたか?」という用語とセットでの出題が多いです。
1925年は大正デモクラシーの中でもとくに重要な年です。この年にできた2つの大きな法律をセットで覚えましょう。
法律名 | 内容 | ポイント |
---|---|---|
普通選挙法 | 満25歳以上の男子すべてに選挙権をあたえた法律 | → 民主化の進展。だれでも投票できるようになった(※女性はまだ)。 |
治安維持法 | 政府にとって都合の悪い思想や言論を取り締まる法律 | → 共産主義や反政府的な考えを取り締まり、言論の自由を制限した。 |
☑ポイント:
以下は、大正デモクラシーに関する一問一答問題(○×や選択)です。
参考:「ちばのやる気学習ガイド」社会3年生 – 千葉県教育委員会
※なお、大正デモクラシーの範囲の一問一答問題をもっと解いて練習したい人向けに、以下の記事に問題を多数掲載しています。
【中3歴史】大正デモクラシーの一問一答
問題:なぜ大正時代に国民の政治参加を求める大正デモクラシーが広がったのか、その理由を説明しなさい。
模範解答例(70〜80字):
大正時代には、第一次世界大戦後の民主主義の流れや、教育の広がり、政党政治の発展などにより、国民の間で政治に参加したいという意識が高まったから。
問題:1925年に制定された普通選挙法の意味と、なぜ重要だったかを説明しなさい。
模範解答例(70〜80字):
普通選挙法は、満25歳以上の男子すべてに選挙権を与えた法律で、それまでの制限選挙から国民の広い参加が可能になったことが重要な意味をもっている。
入試では、用語の暗記だけでなく、「複数の出来事の関係」や「歴史の流れ」を問われることが増えています。
問題:次の出来事を起こった順に並べなさい。
ア:普通選挙法の制定 イ:原敬内閣の成立 ウ:治安維持法の制定
正解:イ → ア → ウ
(1918年 → 1925年 → 1925年)
簡単に言うと:どちらも「国民が大切」という考え方ですが、意味に少し違いがあります。
用語 | 説明 | キーワード |
---|---|---|
民主主義(みんしゅしゅぎ) | 国民が「政治の主人公」であるとする考え。選挙で代表を選び、意見を反映させることが重要。 | 「国民が主権を持つ」 |
民本主義(みんぽんしゅぎ) | 国の中心は天皇だけど、政治は国民のために行うべきだという考え。吉野作造が提唱。 | 「天皇が主権者、でも国民の利益を重視」 |
民本主義は日本の天皇制と合わせた“日本型デモクラシー”と考えるとわかりやすいです。
大正デモクラシーは一時的に広がったけれど、昭和に入って次のような理由で終わりを迎えました。
1929年の世界恐慌で、日本の経済は大打撃。人々の不満が高まり、政府に対する信頼が低下。
昭和に入ると、軍の発言力が強まり、政治にも口出しするようになる。これにより、政党政治が弱まった。
国民の自由な意見を取り締まるために、1925年にできた「治安維持法」が強化され、思想や言論の自由が制限された。
昭和は「戦争へ向かう時代」となり、国民が自由に意見を言えなくなったのです。
人物 | 役割 |
---|---|
原敬 | 初の本格的政党内閣をつくる |
吉野作造 | 民本主義を主張 |
美濃部達吉 | 天皇機関説をとなえる |
出来事 | 年号 | 内容 |
---|---|---|
普通選挙法 | 1925年 | 25歳以上の男子に選挙権が与えられた |
治安維持法 | 1925年 | 政府に反対する考えを取り締まる法律 |
「誰が」「何をしたのか」「なぜそれが大切なのか」をセットで覚えると、点が取りやすくなります!
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