歴史のテスト勉強をしている中学生と歴史が苦手な高校生向けに、鎌倉時代の年表とテストによく出るポイントを解説します。
歴史の流れが覚えられない人も、この内容を覚えておけばテストで点数アップしやすくなります。
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1185年 | 源頼朝が全国に守護と地頭を置く |
1192年 | ・源頼朝が征夷大将軍に任命される ・鎌倉幕府が成立する |
1203年 | 北条時政が執権になる |
1205年 | ・藤原定家らが『新古今和歌集』を編集する ・北条時政が有力御家人の畠山氏をほろぼす |
1206年 | チンギス・ハンがモンゴル帝国を建国する |
1212年 | 鴨長明が随筆『方丈記』を書く |
1213年 | 北条泰時が有力御家人の和田義盛をほろぼす |
1219年 | 将軍・源実朝が暗殺される |
1221年 | ・後鳥羽上皇が承久の乱を起こす ・後鳥羽上皇、隠岐に配流される ・六波羅探題が設置される |
1232年 | 執権・北条泰時が御成敗式目を制定する |
1246年 | 北条氏が有力御家人の三浦一族をほろぼす |
1253年 | 日蓮が日蓮宗(法華経)を唱える |
1260年 | 日蓮が立正安国論を北条時頼に献じる |
1274年 | 文永の役がおこる(元寇):執権は北条時宗 |
1281年 | 弘安の役がおこる(元寇):執権は北条時宗 |
1285年 | 北条定時が有力御家人の安達泰盛をほろぼす |
1297年 | 鎌倉幕府が永仁の徳政令を出す |
1333年 | 後醍醐天皇の命令で新田義貞が鎌倉幕府をほろぼす |
1334年 | 後醍醐天皇が建武の新政をはじめる |
年表中の赤字は暗記必須の内容です。定期テストで頻出です。
高校生は赤字以外もすべて覚えておきましょう。
つづいて、年表に書いてある内容を含めて「鎌倉時代で覚えておくべきポイント」を解説します。どれも定期テストで出てくるものばかりです。
ポイントをしっかり理解しておくと記述問題も正解しやすくなります。
なお、内容は山川日本史探求教科書をもとにしています。
鎌倉幕府は1185年から1333年とされています。
年表にあるように、1185年に源頼朝が全国に守護と地頭を設置しました。
守護は今でいう都道府県知事のようなもので、全国の守護を任命できるようになったことで武家である源頼朝が全国を事実上支配するようになりました。
その後、150年以上にわたって鎌倉時代がつづきますが、1333年に滅びます。
前述のように、鎌倉幕府をつくったのは源頼朝です。
1192年に征夷大将軍に任命され、正式に幕府を開きました。
鎌倉幕府をつくったのは源氏ですが、3代目源実朝が暗殺されて源氏はとだえます。代わりに幕府の実権をにぎったのは北条氏です。
※関連記事:鎌倉幕府の将軍一覧:鎌倉幕府を開いた将軍から摂家将軍、皇族将軍まで9名の事績の紹介
北条氏は「執権」という幕府の役職に就きました。
執権は今の首相のようなものですが、世襲されていました(親から子へと執権の役職が受け継がれていました)。
鎌倉幕府と御家人は「御恩と奉公」の関係にありました。
御家人にとって大きな問題は「自分の領地の維持」でした。「この土地はあなたのものです」と鎌倉幕府に認めてもらう代わりに(御恩)、幕府のために仕事をします(奉公)。
(↑ここ、記述問題によく出ます)
1232年、執権・北条泰時が御成敗式目を制定します。
御成敗式目は主に、御家人の領地問題に関する裁判の基準です。
領地問題などの裁判を担当していたのは問注所という役所です。裁判を担当する人によって判断が違うと不公平となり、御家人の不満が高まります。
そこで執権・北条泰時は裁判の基準が公平になるように裁判基準(御成敗式目)を定めました。
執権として北条氏は次第に勢力をのばします。
ほかにも有力な御家人は多数いましたが、北条氏が次々とほろぼしました。これにより、北条氏が鎌倉幕府を牛耳るようになります。
京都の朝廷で一番の権力者だった後鳥羽上皇が、鎌倉幕府をたおそうと戦争をしかけます。これを承久の乱と呼びます。
鎌倉幕府になるまで政治の中心は朝廷でした。ところが鎌倉幕府は朝廷よりも強い力を持っており、朝廷の重要人事にも口出しをするようになりました。
そこで、幕府から政治の実権を取り戻すために後鳥羽上皇は戦争をはじめました。
(↑ここ、記述問題でまあまあ出ます)
後鳥羽上皇には勝算があって戦争をしかけたわけですが、その目論見はあっさり外れます。
鎌倉幕府の権力者の1人であった北条政子(初代将軍・源頼朝の妻で、初代執権・北条時政の娘)が鎌倉の御家人を説得します。
「幕府からもらった御恩を忘れるな。幕府に味方して朝廷を攻めなさい。」
こうして承久の乱は鎌倉幕府の圧勝に終わります。
戦にやぶれた後鳥羽上皇は京から追放されて隠岐に島流しされます。
そのまま隠岐で亡くなりました。
承久の乱ののち、鎌倉幕府が京の朝廷を監視するために六波羅探題を設置しました。
(↑ここ、記述問題でよく出ます)
朝廷はさらに鎌倉幕府の影響下におかれました。
執権・北条時宗の時代に元が2度、日本に攻めてきます。
1274年文永の役
1281年弘安の役です。
これは年代と名称をセットで覚えておきましょう。
御家人は元軍を追い返すために戦いますが、元の集団戦法や日本になかった武器(てつはうなど)に苦しめられます。
(↑ここ、記述問題でよく出ます)
ですが元も苦戦し、日本に上陸できないまま台風の被害を受けて撤退しました。
鎌倉時代をとおして御家人の生活は次第に苦しくなっていましたが、元寇による戦費(武器代、滞在費など)のためさらにお金がなくなります。
たくさん借金をして、それを返せないまま自分の領地を借金のカタに取られてしまう御家人も多数出ました。
1297年、鎌倉幕府は借金にくるしむ御家人を助けるため、永仁の徳政令を出します。
(↑ここ、記述問題によく出ます)
徳政令というのは「借金をなしにする」という法令です。
ただ、このことによって商人から新たに借金をできなくなった御家人も多数出てしまい、御家人の生活は必ずしも良くなりませんでした。
武家から政権を取り戻そうと、朝廷の中心だった後醍醐天皇が倒幕の命令を反鎌倉幕府の武士に下します。
楠木正成、新田義貞らがその呼びかけに応じ、鎌倉幕府側だった足利尊氏(高氏)も寝返って後醍醐天皇の味方をします。
1333年、鎌倉幕府はほろびました。
鎌倉幕府をほろぼした後醍醐天皇は念願かなって、天皇や公家中心の政治をはじめます。これを建武の新政と呼びます。
建武の新政は一部の武家に冷たかったため、足利尊氏らの武家によって後醍醐天皇は京から追われてしまいます(南北朝時代のはじまり)。
鎌倉時代は藤原定家らによる『新古今和歌集』などの歌集や、鴨長明の『方丈記』や吉田兼好の「徒然草」などの文学が盛んになりました。
また、鎌倉に大仏が建立されたのもこの時代です。
鎌倉時代は戦乱があいつぎ、心の平安を求める庶民や貴族の間で新たな仏教が人気になりました。
下記の6種類の宗教を宗派名と開祖をセットで覚えておきましょう。
宗派 | 開祖 |
浄土宗 | 法然 |
浄土真宗 | 親鸞 |
時宗 | 一遍 |
日蓮宗 | 日蓮 |
臨済宗(禅宗) | 栄西 |
曹洞宗(禅宗) | 道元 |
定期テストでは「複数の出来事を発生順に並び替える問題」もよく出ます。
練習問題をいくつか用意したので、ここまでお伝えした鎌倉時代の流れを思い出しながら解いてみましょう。
(1)後鳥羽上皇が承久の乱を起こしたのは下記年表中の(A)(B)(C)のどこに当てはまりますか。
1192年 | 源頼朝が征夷大将軍に任命される |
(A) | |
1232年 | 御成敗式目が出される |
(B) | |
1274年 | 文永の役が起こる |
(C) |
(2)以下の出来事を発生した順に並べてください。
①六波羅探題が設置される
②北条泰時が御成敗式目を制定する
③鎌倉幕府が滅亡する
④永仁の徳政令が出される
(1)(A)
(2)②→①→④→③
最後に、歴史の流れを勉強しやすい本や参考書を3冊紹介します。
問題集に答えを書き込みながら年表を仕上げていくスタイルです。
自分で書いていくので頭に残りやすいです。
出版社:文英堂
年号を語呂合わせで覚えられる参考書です。
年号を覚えるのが苦手な中学生に人気です。
出版社:増進堂・受験研究社
こちらも年表に書き込みながら覚える方式です。
秀逸なのが、イラストや資料をふんだんに掲載してくれている点です。
「文字だけだと覚えづらい!」という人も視覚的に覚えられます。
出版社:学研プラス
中学生と歴史が苦手な高校生向けに鎌倉時代の年表を紹介し、覚えておくべきポイントを解説しました。
歴史の流れを時系列で把握しておくと頭に残りやすく、テストでも点を取りやすくなります。記述問題にも正解しやすくなります。
無料の練習問題も使って暗記しておきましょう。
定期テストに向けてもっと勉強したい人向けに、下記の記事で一問一答問題をたくさん解けます。
鎌倉時代の一問一答問題①:仏教、承久の乱、平家物語など
鎌倉時代の一問一答問題②:幕府の仕組み(問注所、侍所、政所)、元寇、御恩と奉公
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