自由民権運動は、明治時代に国民が政治に参加する権利を求めて起こした大きな運動です。中学校の定期テストや高校入試でも頻出の重要単元ですが、「言葉がむずかしくてよくわからない…」と感じる中学生も多いのではないでしょうか?
この記事では、自由民権運動の流れ・重要人物・目的を、中学生にもわかるようやさしく解説!さらに、テストによく出る一問一答や記述対策、視覚的に理解できる年表・関係図もまとめています。
テスト直前の総復習や苦手克服にもぴったりの内容です!
自由民権運動(じゆうみんけんうんどう)は、明治時代の初めに国の政治のやり方を変えようとした国民の運動です。
「国民も政治に参加できるようにしてほしい!」という声が高まり、国会の開設や憲法の制定を求めて始まりました。
これは、今の日本の「民主主義」の出発点ともいえる大事なできごとで、中学校の定期テストや高校入試でもよく出題されます。
参考:Try It!「5分でわかる!板垣退助と自由民権運動」
明治時代のはじめ、日本は新しい国づくりの真っ最中でした。
それまでの「江戸幕府(将軍の時代)」から、「天皇中心の国(明治政府)」へと大きく変わったのです。
明治政府は、武士など一部の人たちの意見だけで政治を進めていました。
農民や商人、一般の人々の意見はまったく聞かれず、税金だけが重くなるなど、不満がたまっていきました。
特に不満を感じたのは、新しい身分制度に入れなかった武士(士族)や、生活が苦しくなった農民たちです。
彼らは、「自分たちも政治に参加できるようにしてほしい」と考えるようになりました。
自由民権運動が起こる前、明治政府は次のような庶民に負担の大きい制度を始めました。
満20歳の男子は兵隊として軍隊に入らなければならない、という決まりです。
それまで戦に関わらなかった農民も対象になり、反対の声があがりました。
→「血税一揆(けつぜいいっき)」とよばれる暴動も各地で起こりました。
土地を持っている人に、毎年お金で税を払わせる制度に変更。
農作物の収穫が少なくても、税は同じ金額を払わなければならず、農民にとってとても苦しい制度でした。
こうした制度により、生活が大変になった人たちが政府に不満を持つようになり、運動につながっていったのです。
自由民権運動には、いくつかの大きな目的がありました。
その中心は「国民の声を政治に反映させること」です。
当時の明治政府は、天皇とその側近だけで政治を行っていて、国民の意見を聞く場所がありませんでした。
そこで、多くの人たちは「国民の代表が集まる国会を作ってほしい」と訴えました。
また、政治の決まりや国民の権利をしっかり定めるために、「憲法を作ってほしい」という声も高まっていきました。
→ こうした要望は、「民選議院設立建白書(1874年)」という文書として、政府に提出されました。
これが、自由民権運動のはじまりとされています。
自由民権運動では、「国会を開いてほしい」という声だけでなく、次のような自由の拡大も求められました。
こうした自由を求める中で、「自由党(板垣退助)」や「立憲改進党(大隈重信)」といった政治団体も生まれました。
自由民権運動は、1874年の民選議院設立建白書から始まり、約15年間にわたって続いた国民の政治参加を求める運動です。
ここでは、その始まりから終息までの主なできごとと流れを時系列で整理しながら解説します。
1874年、政府に対して初めて本格的な政治参加を求める文書が提出されました。
これが**「民選議院設立建白書(みんせんぎいんせつりつけんぱくしょ)」**です。
明治政府はこの要望を受け入れませんでしたが、これをきっかけに、全国に自由民権運動が広まる第一歩となりました。
翌1874年、板垣退助は高知県で「立志社(りっししゃ)」という政治団体を設立します。
これは、政治について学び、意見を言うための結社(団体)で、民権思想(国民が政治に参加すべきという考え)を広める活動を行いました。
政府の対応が変わらない中、運動はさらに大きくなります。
このころから、日本で初めて本格的な政党政治の動きが出始めます。
政府が言論の自由や集会を取り締まる中、運動の一部は暴力的な抵抗へと発展しました。
自由民権運動は最終的に政府を動かし、次の大きな成果を生み出します。
これにより、自由民権運動は一定の目的を達成したと言えます。
年 | 出来事 | ポイント |
---|---|---|
1874年 | 民選議院設立建白書 | 自由民権運動のはじまり |
1880年 | 国会期成同盟 | 全国で国会開設を要求 |
1881年 | 自由党の結成 | 日本初の政党(板垣退助) |
1882年 | 立憲改進党の結成 | 大隈重信が結党 |
1884年 | 秩父事件・加波山事件 | 政府への反発が過激化 |
1889年 | 大日本帝国憲法の発布 | 天皇主権の憲法 |
1890年 | 帝国議会の開設 | 国会が開かれる |
自由民権運動には、政治を変えようと立ち上がったリーダーや、思想や言葉で民権を広めた人たちがたくさんいました。ここでは、特にテストに出やすい4つのカテゴリーにわけて、主要人物の役割を紹介します。
板垣退助(いたがき たいすけ)は、自由民権運動の中心となった人物です。
もともと土佐藩の出身で、明治維新の立役者の一人でもあります。
1882年、岐阜で演説中に暴漢に刺された際、彼が言ったとされる言葉が有名です:
「板垣死すとも自由は死せず」
この言葉は、どんなに自分が傷ついても、自由の精神は決して消えないという決意を表しています。
大隈重信(おおくま しげのぶ)は、早稲田大学の創設者としても知られていますが、政治家としてもとても重要な人物です。
中江兆民(なかえ ちょうみん)は、思想家として自由民権運動に大きな影響を与えました。
フランスの思想家ルソーの『社会契約論』を日本語に訳したことで有名です。
人物名 | 主な役割・できごと | 覚えるポイント |
---|---|---|
板垣退助 | 民選議院設立建白書・自由党結成 | 「自由は死せず」 |
大隈重信 | 立憲改進党の結成 | 議会政治・都市の支持 |
中江兆民 | 民権思想を広めた思想家 | 東洋のルソー・社会契約論 |
河野広中 | 地方で自由党を支えた | 民衆の代表として活動 |
植木枝盛 | 私擬憲法を作成 | 言論の自由を訴えた憲法草案 |
※なお、同じ時期に日本は外国との交渉で「領事裁判権の撤廃」と「関税自主権の回復」に成功しています。どちらもテストによく出ます。以下の記事でくわしく解説しています。
【中学生向け】領事裁判権と関税自主権とは?意味・人物をわかりやすく解説
自由民権運動は、中学社会の近代日本史の中でも出題率が非常に高い単元です。人物・年号・用語を正確におさえることに加えて、「なぜそうなったのか?」という理由説明型の記述問題にも対応できるようにしましょう。
以下は定期テストや高校入試で超頻出の一問一答問題です。まずはこれらを確実に暗記しましょう。
問題 | 答え |
---|---|
1874年に政府に議会の設立を求めた建白書の名前は? | 民選議院設立建白書 |
民選議院設立建白書を提出した人物は? | 板垣退助 |
自由党を結成した人物は? | 板垣退助 |
立憲改進党を結成した人物は? | 大隈重信 |
自由民権運動で民権思想を広めた思想家は? | 中江兆民 |
中江兆民が翻訳した、民主主義の思想書は? | 社会契約論 |
1889年に発布された日本の憲法の名前は? | 大日本帝国憲法 |
1890年に開かれた日本初の国会は? | 帝国議会 |
秩父事件のような反政府暴動が起きた原因の一つは? | 貧困・重税などによる生活苦 |
用語を単に覚えるだけではなく、「どんな意味か・なぜ重要なのか」も理解することがテスト対策のカギです。
用語 | 意味・ポイント |
---|---|
民選議院設立建白書 | 国民が選ぶ議会をつくることを政府に求めた文書。自由民権運動のはじまり。 |
自由党 | 板垣退助が中心になってつくった、民権を求める政党。 |
立憲改進党 | 大隈重信が結成。自由党より穏やかな改革を目指した。 |
私擬憲法 | 国民や学者が独自に作った憲法の案(例:植木枝盛)。 |
言論の自由 | 自分の意見を自由に言える権利。運動の重要テーマの一つ。 |
憲法 | 国のルールを定めた最も大事な法律。明治時代は天皇中心の内容だった。 |
記述問題では、「理由」を説明させる問題が非常に多く出題されます。以下のようなパターンに慣れておきましょう。
Q:「民選議院設立建白書」が出されたのはなぜか。
▶ 模範解答例:
政府が国民の意見を聞かずに政治を行っていたため、国民の代表による議会を開いて、政治に参加したいと考えたから。
☑ポイント解説
用語を答える問題だけでなく、「それがなぜ大事だったのか」を説明する問題も増えています。
Q:自由民権運動が後の日本の政治に与えた影響を簡単に説明しなさい。
▶ 模範解答例:
自由民権運動によって国会開設や憲法制定が実現し、国民が政治に参加できるようになった。
Q:なぜ自由民権運動の一部が暴力的になったのか?
▶ 模範解答例:
政府が運動を弾圧し続け、国民の不満が高まり、平和的な手段では政治を変えられないと考える人もいたから。
☑記述問題は「原因 → 結果」の形で説明できると満点が狙えます!
※なお、以下の問題集が歴史のテスト対策に便利です。
※さらに問題を解いて練習したい人向けに、以下の記事で一問一答問題や記述問題を多数掲載しています。
自由民権運動の一問一答
自由民権運動は、登場人物・できごと・地域の広がりが複雑に絡み合った運動です。
それを視覚的に整理すれば、テストの理解と暗記効率がぐんと上がります。
以下の年表で、自由民権運動の重要な出来事を時系列で整理しましょう。
年 | 出来事 | ポイント |
---|---|---|
1874年 | 民選議院設立建白書提出 | 板垣退助が政府に議会を求める(運動のはじまり) |
1875年 | 立志社の設立(高知) | 地方に自由民権運動が広がりはじめる |
1880年 | 国会期成同盟の結成 | 全国的に国会開設を求める声が高まる |
1881年 | 自由党の結成 | 板垣退助中心、日本初の政党 |
1882年 | 立憲改進党の結成 | 大隈重信中心、議会政治を目指す |
1884年 | 秩父事件・加波山事件 | 貧困や政府への不満が爆発、暴動に発展 |
1889年 | 大日本帝国憲法の発布 | 天皇主権の憲法が制定される |
1890年 | 帝国議会の開設 | 国会が開かれ、運動が一定の成果を得る |
☑覚え方のコツ:
自由民権運動は、中央の政府だけでなく、地方の人々にも広がった運動です。
特に以下の地域が、自由民権運動の拠点としてよく出題されます。
地域 | 拠点・できごと | 主な人物 |
---|---|---|
高知県 | 立志社の設立 | 板垣退助、植木枝盛 |
福島県 | 福島事件(新聞記者の弾圧) | 河野広中 |
埼玉県 | 秩父事件 | 農民たちの暴動 |
茨城県 | 加波山事件 | 自由党急進派 |
☑地図にマークを付けると、運動が全国的に広がっていたことが実感できます。特に「西日本(四国・九州)から関東まで」の広がりに注目!
自由民権運動では、さまざまな人物・政党・思想が関わり合っています。以下のような関係図のイメージで整理すると理解が深まります。
板垣退助 ─┬─ 民選議院設立建白書(1874年)
├─ 立志社(地方拠点)
└─ 自由党(1881年)
大隈重信 ── 立憲改進党(1882年)
中江兆民 ── 民権思想の広まり(思想面を支える)
植木枝盛 ── 私擬憲法を作成(憲法思想)
河野広中 ── 地方で演説・活動(福島事件など)
ポイント:
自由民権運動は、現代のように「国民が政治に参加できる社会」を目指して始まった運動です。
最終的に「憲法」と「国会」の誕生という形で、日本の民主主義の土台を築いたと言えます。
☑テストでは、「流れ(年表)+人物(役割)+目的(なぜ?)」をしっかり押さえれば得点につながります。
自由民権運動の意義は、日本における「政治参加の考え方」を広めたことです。
☑定期テストや入試でよく問われる記述:
自由民権運動の意義は何か?
→ 国民が政治に参加する権利を主張し、国会開設や憲法制定を実現させた点にある。
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