鎌倉時代(かまくらじだい)は、日本で初めて「武士の政治」が始まった時代です。
それまでの政治は、天皇や貴族が中心でしたが、鎌倉時代になると、武士が自分たちの力で国を治めるようになりました。
この時代の中心人物は、もちろん源頼朝(みなもとのよりとも)。彼が鎌倉に幕府を開いたことで、日本の政治のしくみが大きく変わります。
定期テストでは、
このページでは、鎌倉時代の流れを時系列でわかりやすく解説し、テストで出やすい年号・人物・事件をまとめて紹介します。
これを読めば、鎌倉時代の流れがスッキリ理解できるはずです!
※ 関連記事:[鎌倉時代の一問一答|中学生向けチェック問題はこちら]
鎌倉時代の始まりは、「源氏と平氏の戦い」からスタートします。
平安時代の終わりごろ、朝廷の中で力を持っていた平氏(へいし)が政権をにぎりましたが、その政治に不満を持った源氏(げんじ)との戦いが起こります。
この戦いが、のちに「鎌倉幕府」につながっていくのです。
平安時代の後半、平清盛(たいらのきよもり)という人物が大きな力を持ちました。
平清盛は貴族に代わって政治を行い、娘を天皇の母にすることで朝廷の中心に入り込みました。
しかし、そのやり方に不満をもつ人々が増え、源氏(げんじ)が立ち上がります。
この戦いを「源平の戦い(げんぺいのたたかい)」または「治承・寿永(じしょう・じゅえい)の乱」といいます。
戦いは1180年から1185年まで続き、全国を巻き込む大きな内乱となりました。
このとき活躍したのが、源頼朝の弟である源義経(みなもとのよしつね)。
彼は数々の戦いで平氏を破り、特に「一の谷の戦い」「屋島の戦い」などで大きな勝利をおさめました。
そして1185年、壇ノ浦(だんのうら)の戦いでついに平氏は滅亡します。
この戦いで、幼い安徳天皇(あんとくてんのう)が入水し、平清盛一族は海に沈みました。
この年(1185年)は、源頼朝が全国に「守護(しゅご)」と「地頭(じとう)」を置いた年でもあり、
実質的に「武士の政府(幕府)」が始まった年と考えられています。
テストポイント:
中学歴史でよく出る疑問がこれです。
「鎌倉幕府の成立年は、1185年? それとも1192年?」
昔は「1192年(いい国つくろう鎌倉幕府)」という語呂合わせで覚えるのが定番でした。
これは、源頼朝が征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任命された年を基準にしています。
しかし最近の教科書では、
実際に全国の支配を始めたのは1185年(守護・地頭を置いた年)
と説明されており、「1185年成立」説が主流です。
つまり、どちらも間違いではないけれど、テストでは「1185年」がよく出るようになっています。
覚え方:
「征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)」とは、朝廷から任命される武士のトップのこと。
もともとは「えぞ(東北地方の蝦夷)を征伐する軍の大将」という意味でしたが、
鎌倉時代以降は、全国の武士をまとめる最高の地位を意味するようになりました。
源頼朝が征夷大将軍になったことで、武士が政治を行う時代が正式にスタートします。
つまり、征夷大将軍=武士のリーダーであり、幕府の長ということです。
テストポイント:
鎌倉時代の中ごろには、幕府の政治を揺るがす大事件が起こりました。それが「承久の乱(じょうきゅうのらん)」です。
さらにその後、武士の社会をまとめるために作られたのが「御成敗式目(ごせいばいしきもく)」です。
どちらも中学歴史の定期テストで超頻出の範囲なので、流れと意味をしっかり覚えましょう!
※帝国書院の『中学生の歴史』を参考にしています。
鎌倉時代の幕府は、もともと「朝廷(天皇や上皇)」の許しを得て存在していました。
しかし、だんだんと幕府の力が強くなり、朝廷が力を取り戻そうと反発するようになります。
その中心人物が、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)です。
彼は「鎌倉幕府を倒して、天皇中心の政治に戻そう」と考え、1221年に兵をあげました。これが承久の乱です。
一方、幕府側では執権の北条義時(ほうじょうよしとき)を中心に御家人たちが団結。
結果は――
・ 幕府軍が圧勝!
・ 後鳥羽上皇は隠岐(おき)に流され、幕府の力が全国に広がりました。
つまり、「朝廷より幕府の方が強い」と全国に示された出来事が承久の乱なのです。
【定期テストでよく出る記述問題例】
問:承久の乱の結果、幕府の力がどのように変化したか説明しなさい。
答:朝廷をしのぐ力を持ち、政治の中心が幕府に移った。
承久の乱のあと、幕府は京都に六波羅探題(ろくはらたんだい)という役所を設けました。
これは、朝廷の監視と西日本の御家人の統制を行うための出先機関です。
六波羅探題の設置によって、幕府は東日本だけでなく西日本にも勢力を広げたのです。
ここがテストで狙われやすいポイントです。
【覚え方の語呂合わせ】
「承久の乱でろく(六)なことなし → 六波羅探題」
(承久の乱の結果できたのが六波羅探題!と覚えましょう)
承久の乱のあと、幕府が全国を統治するためには、武士が守るべきルールを明確にする必要がありました。
そこで執権の北条泰時(ほうじょうやすとき)が1232年に制定したのが、御成敗式目(ごせいばいしきもく)です。
御成敗式目は、
当時の社会では、朝廷の「律令(りつりょう)」が古くなっており、武士の常識に合わない点も多かったため、
御成敗式目は「武士の常識を反映した新しいルール」として重要な意味を持ちました。
【定期テスト頻出問題①】
問:御成敗式目を制定した人物と、その目的を答えなさい。
答:北条泰時が、武士の裁判の基準を定めるために制定した。
【定期テスト頻出問題②】
問:御成敗式目の内容はどのような特徴があるか。
答:武士の慣習や考え方をもとにして定められた。
【覚え方語呂合わせ(年号1232年)】
「ひとふみ(1232)読む泰時、御成敗式目」
→ 北条泰時が作ったときのイメージで覚えると効果的です。
この3つの流れをおさえることで、「鎌倉時代中期の政治の発展」がスムーズに理解できます。
定期テストでは年号・人物・目的の3点セットで問われるので、語呂合わせとセットで暗記しておきましょう。
鎌倉時代の後半、日本は外国からの大きな脅威にさらされました。
それが、モンゴル(元)による2度の襲来、つまり「元寇(げんこう)」です。
この戦いをきっかけに、鎌倉幕府の力が少しずつ弱まっていくことになります。
ここでは「戦いの流れ」と「その後の幕府の衰退」をセットで理解していきましょう。
※参考:元軍との戦い後の幕府 | NHK for School
モンゴル帝国(元)は、中国や朝鮮半島を征服したあと、日本にも服従を求めてきました。
しかし、鎌倉幕府がそれを拒否したため、元は2度にわたって日本に攻めてきます。
【ここがポイント】
「文永の役では、鎌倉幕府の守りは不十分だったが、暴風雨が日本を救った」
【2度の元寇の違いまとめ】
| 項目 | 文永の役(1274年) | 弘安の役(1281年) |
|---|---|---|
| 攻めてきた国 | 元・高麗 | 元・高麗・南宋 |
| 日本の準備 | 不十分 | 防塁を築くなど十分 |
| 結果 | 暴風雨で撤退 | 再び暴風雨で撤退 |
| テスト頻出語句 | てつはう | 防塁・神風 |
2度の元寇では、どちらのときも暴風雨が元軍を退けたと伝えられています。
この風がのちに「神風(かみかぜ)」と呼ばれるようになりました。
当時の人々は「神が日本を守ってくれた」と考えましたが、実際には――
【テストで狙われる記述例】
問:神風とはどのような意味か説明しなさい。
答:元の襲来のときに吹いた暴風を、神が日本を守ったと考えて「神風」と呼んだ。
元寇では、2度とも元軍を撃退しましたが、新しい土地を手に入れたわけではありません。
そのため、戦った御家人に与える土地(恩賞)がなかったのです。
御家人たちは「命をかけて戦ったのに、報われない」と不満を強めました。
さらに、戦いの準備や防塁の建設に多くの費用がかかり、幕府の財政も悪化しました。
【テストで出やすいポイント】
問:元寇のあと、御家人の不満が高まったのはなぜか。
答:新しい領地が得られず、恩賞をもらえなかったから。
御家人の中には、生活が苦しくなり、幕府の命令を無視して暴れる者(悪党)も現れました。
「悪党(あくとう)」とは、今でいう“反乱的な武士”のことです。
彼らは年貢を納めず、荘園を荒らすなどの行動をとりました。
これにより、
最終的に、この御家人たちの不満が、のちの後醍醐天皇による倒幕運動(建武の新政)につながっていくのです。
| 出来事 | 年号 | 内容 | テスト頻出ポイント |
|---|---|---|---|
| 文永の役 | 1274年 | 元が初めて日本に襲来 | 暴風雨で撤退、てつはう |
| 弘安の役 | 1281年 | 元+南宋が再び襲来 | 防塁を築き、神風で撤退 |
| 神風 | ― | 日本を救った暴風のこと | 神が守ったと考えられた |
| 御家人の不満 | ― | 恩賞不足で幕府に不信感 | 鎌倉幕府の衰退の原因 |
| 悪党の登場 | ― | 幕府に反抗する武士 | 治安悪化・支配力低下 |
長く日本を支配してきた鎌倉幕府も、最後には内部の不満や混乱によって滅びを迎えます。
そのきっかけを作ったのが、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)による「倒幕運動(とうばくうんどう)」でした。
ここでは、鎌倉幕府がどのようにして滅び、新しい時代(室町時代)へと移っていったのかを、流れでわかりやすく整理していきましょう。
元寇(げんこう)のあと、御家人の不満が高まり、幕府の力はだんだんと弱まっていきました。
そんな中、朝廷側では「天皇の力を取り戻そう」という動きが強まります。
その中心人物が、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)です。
彼は「武士の政治(幕府)を終わらせ、天皇中心の政治を復活させよう」と考え、
倒幕運動(とうばくうんどう)を始めました。
後醍醐天皇は、鎌倉幕府を倒すために計画を立てますが、
仲間の裏切りで計画が発覚し、失敗します。
(これを「正中の変(しょうちゅうのへん)」といいます)
後醍醐天皇は再び倒幕を試みます。
しかし、このときも失敗し、隠岐(おき)という島に流されてしまいます。
ところが!
流された後醍醐天皇の考えに共感し、全国で多くの武士が立ち上がりました。
その中には、のちに歴史を大きく動かす足利尊氏(あしかがたかうじ)や新田義貞(にったよしさだ)などがいたのです。
【テストでよく出る記述例】
問:後醍醐天皇はどのような目的で倒幕運動を行ったか。
答:天皇中心の政治(公家政治)を取り戻すため。
1333年、ついに鎌倉幕府が滅びます。
その決定的なきっかけを作ったのが、足利尊氏と新田義貞の活躍でした。
足利尊氏はもともと鎌倉幕府の有力な御家人でした。
しかし、幕府の政治に不満を持っていた彼は、後醍醐天皇側に味方して倒幕に加わります。
彼は京都の六波羅探題(ろくはらたんだい)を攻め落とし、朝廷の支配権を取り戻しました。
この裏切りは、幕府にとって決定的な打撃となります。
続いて、関東では新田義貞(にったよしさだ)が鎌倉に攻め込みます。
激しい戦いの末、鎌倉幕府はついに滅亡。
1333年、鎌倉幕府が約150年の歴史に幕を閉じたのです。
【語呂合わせ(1333年)】
「いざ、さんざん(1333)鎌倉幕府ほろぶ」
→ テスト対策でよく出るので、語呂で暗記!
幕府を倒した後、後醍醐天皇は「天皇中心の政治」を実現しようとしました。
これが建武の新政(けんむのしんせい)です。
しかし、武士たちの不満を理解できず、次第に不安定な政治になってしまいました。
その不満の中から、再び足利尊氏が動き出します。
足利尊氏は後醍醐天皇と対立し、新しい幕府(室町幕府)を京都に開くことになります。
こうして日本は、次の時代――室町時代へと進んでいきます。
| 出来事 | 年号 | 内容 | 重要人物 |
|---|---|---|---|
| 正中の変 | 1324年 | 最初の倒幕計画。失敗 | 後醍醐天皇 |
| 元弘の変 | 1331年 | 再び倒幕を試みるが失敗 | 後醍醐天皇 |
| 足利尊氏の裏切り | 1333年 | 幕府を見限って朝廷側へ | 足利尊氏 |
| 鎌倉幕府の滅亡 | 1333年 | 新田義貞の攻撃で滅亡 | 新田義貞 |
| 建武の新政 | 1334年 | 天皇中心の政治を目指す | 後醍醐天皇 |
| 室町幕府の成立 | 1338年ごろ | 足利尊氏が新幕府を開く | 足利尊氏 |
※なお、中学生向けに以下の記事に鎌倉時代の年表を掲載しています。
【中学生向け】鎌倉時代の年表とテスト頻出ポイントの解説
鎌倉時代は政治・事件・文化・人物など覚えることが多いですが、「テストによく出るポイント」を押さえるだけで得点がぐっと上がります。
ここでは、年号・人物・記述・用語の4つの観点でまとめます。
中学生が覚えておきたい鎌倉時代の重要年号は次の5つです。
| 年号 | 事件・出来事 | 覚え方/語呂合わせ |
|---|---|---|
| 1185年 | 壇ノ浦の戦い・平氏滅亡 | 「いいやごろ(1185)壇ノ浦で平氏終わる」 |
| 1192年 | 源頼朝が征夷大将軍 | 「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府」 |
| 1221年 | 承久の乱 | 「承久で幕府の力示す」 |
| 1232年 | 御成敗式目制定 | 「ひとふみ(1232)北条泰時が法律」 |
| 1274年・1281年 | 元寇(文永・弘安の役) | 「文永・弘安の神風」 |
【テストポイント】
鎌倉時代の人物は、政治・宗教・事件・文化に分けて整理すると覚えやすいです。
| 人物 | 役割・ポイント |
|---|---|
| 源頼朝 | 鎌倉幕府を開く、征夷大将軍 |
| 北条政子 | 尼将軍、執権政治を支える |
| 北条義時 | 執権、承久の乱で幕府の勝利を指導 |
| 北条泰時 | 御成敗式目を制定 |
| 後鳥羽上皇 | 承久の乱で幕府に反発 |
| 足利尊氏 | 鎌倉幕府滅亡に関与、室町幕府創始 |
| 新田義貞 | 鎌倉攻めで幕府滅亡に貢献 |
| 法然・親鸞・日蓮・栄西・道元 | 鎌倉新仏教を開く宗教家 |
【テスト頻出ポイント】
「誰が何をしたか」だけでなく、「どの事件・出来事に関わったか」もセットで覚える
問:承久の乱の結果、幕府の力はどうなったか。
答:幕府が朝廷に勝ち、全国に支配力を広げた。
問:御恩と奉公とは何か。
答:御家人が土地(恩賞)をもらい、将軍に忠誠を尽くす関係。
【ポイント】
| 用語 | 意味 | 覚え方・注意点 |
|---|---|---|
| 守護 | 国ごとの武士の監督役 | 地方の安全・徴税担当 |
| 地頭 | 荘園や公領を管理する役 | 年貢の取り立てが仕事 |
| 悪党 | 幕府に反抗する武士 | 暴れたり荘園を荒らす |
| 征夷大将軍 | 幕府のトップ | 武士の長、頼朝が初めて就任 |
【ポイント】
同じ「役職でも守護と地頭は役割が違う」など、混同しやすい部分を整理する。
単なる暗記よりも、時代の流れを理解することで定期テストも高校入試も安心です。
【ポイント】
歴史は「暗記」から「理解」に変わると、定期テストも高校入試もぐっと楽になります。
鎌倉時代をしっかり押さえれば、中学歴史の土台はバッチリです!
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