「飛鳥時代がいつごろの時代なのかよくわからない」
飛鳥時代がいつごろで、何があったのかよく分からないという人は多いのではないでしょうか。
学校の授業でもさらっと通り過ぎてしまうことも多く、前後の時代との違いも分かりにくいかもしれません。
そこで、飛鳥時代の年表を紹介しながら、いつごろの時代で、何が起こったのかを解説します。
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飛鳥時代は593年~710年までです。
聖徳太子が推古天皇の摂政になってから平城京に遷都されるまでに100年間ほどの期間です。
593年 | ・推古天皇が日本史上初めての女性天皇となる ・厩戸王が推古天皇の摂政になる |
603年 | 冠位十二階の制定 |
604年 | 十七条憲法の制定 |
607年 | 小野妹子が遣隋使として派遣される |
608年 | 隋の煬帝の命で裴世清(はいせいせい)が倭国を訪れる |
620年 | 『天皇記』『国記』が蘇我馬子と厩戸王によって編纂される ※どちらも現存せず |
638年 | 山背大兄王が斑鳩に法起寺を建立する |
639年 | 百済大寺の建立がはじまる |
643年 | 蘇我入鹿が山背大兄王とその一族を滅ぼす |
645年 | ・乙巳の変が起こる (中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を討つ。蘇我蝦夷を自害に追い込む。) ・難波宮に遷都 |
646年 | 改新の詔が発布される |
649年 | 右大臣・蘇我倉山田石川麻呂が謀反の疑いで自害 |
652年 | 班田収授法が施行される |
663年 | 白村江の戦いで、唐・新羅連合軍に日本軍が大敗する |
667年 | 近江大津宮へ遷都する |
668年 | 中大兄皇子が即位して天智天皇になる |
671年 | 天智天皇が崩御し、大海人皇子が吉野に隠棲する |
672年 | 壬申の乱が起こり、大海人皇子が大友皇子を破る |
673年 | 大海人皇子が即位して天武天皇になる |
684年 | 八色の姓が制定される |
686年 | ・天武天皇が崩御 ・大津皇子が謀反の疑いで自害(大津皇子の変) |
689年 | 飛鳥浄御原令が施行される |
690年 | ・天武天皇の后が即位して持統天皇になる ・庚寅年籍が作成される |
694年 | 藤原京に遷都される |
697年 | 文武天皇が即位する |
701年 | 大宝律令が完成し、施行される |
708年 | 和同開珎が発行される |
飛鳥時代は117年間という比較的短い時代です。ですが、この間に国内の政治体制は何度か大きく変わりました。
なお、内容は山川日本史探求教科書をもとにしています。
最初の政治体制は蘇我氏と聖徳太子(厩戸王)+日本初の女性天皇である推古天皇を中心とした政治体制です。「有力豪族の蘇我氏+有力皇族」のタッグです。
蘇我氏が豪族のトップに君臨して皇族とともに天皇を支えることで、蘇我氏の権力と天皇の政治的安定を保つスタイルです。
十七条憲法や冠位十二階の制定で豪族の天皇に対する意識を変え、国内の政治体制を安定させます。さらに天皇の権威を高めるために『天皇記』『国記』を編纂します。
国内統治の安定により、607年には隋に使者(小野妹子ら)を派遣して積極的な外交政策を取れるようにもなりました。
隋も高句麗への遠征をひかえていたため日本との関係を重視し、翌年(608年)裴世清を使者として日本に派遣しました。
隋は成立してまもなく、高句麗遠征の失敗などがひびいて唐に滅ぼされます。
唐は隋とは比較にならないほど強力な体制をしき、広大な領土を持ちました。周辺国にとって唐の軍事力は大きな脅威となり、朝鮮半島の高句麗・新羅・百済や日本も「唐に侵略されるかも」とあわてます。
この脅威に対して、蘇我入鹿は蘇我氏中心の政治体制で備えようとします。643年に有力皇族である山背大兄王をほろぼし、ライバルを着々と排除します。
蘇我氏の動きに対して645年、皇族である中大兄皇子が中臣鎌足と協力して蘇我入鹿を暗殺し、その父親である蘇我蝦夷を自害に追い込みます(乙巳の変)。
さらに乙巳の変で中大兄皇子に協力していた蘇我倉山田石川麻呂が649年に謀反の疑いで自害させられるという事件が起き、中大兄皇子と中臣鎌足を中心とした「皇族+有力貴族」の政治体制になります。
652年には朝廷の収入を増やすために班田収授法を施行します。
そして663年に百済再興のため朝鮮半島に出兵しますが、唐と新羅の連合軍に大敗します(白村江の戦)。この敗戦の結果日本は唐や新羅に攻め込まれる危険性が高くなり、元百済の技術者の協力で防衛基地として水城を九州北部に建設します。
中大兄皇子はその後即位して天智天皇となり、天皇を中心とした律令体制(律令:現在の法律のようなもの)の政治への移行を目指します。
志半ばで天智天皇は亡くなり、後を継いだ子の大友皇子と弟の大海人皇子の間で大きな戦いが起こります(672年 壬申の乱)。この戦いに勝利した大海人皇子が即位して天武天皇となります。
壬申の乱の結果、それまで朝廷で要職についていた有力貴族が、のきなみ滅亡しました。
684年に八色の姓を制定して、新たな人材を登用します。
天武天皇の死後も持統天皇(天武天皇の后)は体制を維持します。藤原(中臣)鎌足の一族を優遇し、庚寅年籍の作成(690年)や大宝律令の完成・施行(701年)によって、天皇と藤原氏による律令政治を開始しました。
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※関連記事:日本史の論述問題と解答例
いかがでしょうか。
中学生や高校生向けに飛鳥時代の年表を紹介し、飛鳥時代の流れや出来事を解説しました。
年表をみると歴史の流れを把握しやすくなります。流れが分かると中学のテストや、高校の歴史総合、日本史探求のテストで点を取りやすくなります。
一問一答や論述問題集と併用して日本史を得意にしましょう!
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