班田収授法は古代の公地公民の原則にもとづく土地の支給と税制の基盤でした。ところが墾田永年私財法(743年)でその原則が崩壊しました。古代日本史の律令制度を理解する上で重要なトピックです。
そこでこの記事では、これら2つの法令の背景、内容、影響を詳しく解説し、高校日本史のテスト対策にも役立つ情報を提供します。
これらを正確に理解し、テストで高得点をねらいましょう!
班田収授法は、645年の大化改新で発布された改新の詔に基づいて制定されました。
この法は、公地公民制を基盤とし、農地を国家が管理することで安定した税収を確保する意図がありました。
背景には、唐や新羅からの侵略に備えて、律令体制による中央集権国家の構築を目指していたことがありました。公地公民制の徹底によって中央集権化を目指しました。
班田収授法は、6歳以上の男女に口分田(田地)を配分し、その田地を耕作する義務を課す制度です。
田地は死後に国へ返還され、永久的に個人の所有物にはならないのが特徴です。
また、戸籍に基づいて田地を班給することで公平性を保とうとしました。この制度により、国家は安定した収穫量と税収を確保できました。
支給される口分田の広さは、民の身分や男女によって以下のように定められていました。
班田収授法を制定した中心人物は中大兄皇子、中臣鎌足、蘇我倉山田石川麻呂などです。孝徳天皇がそのころの天皇でした。
この法は、律令体制の基盤となる大化改新の一環であり、中央集権化を進めるための重要な施策でした。公地公民制を律令国家の運営に組み込み、天皇を中心とした統治の強化を目指しました。
奈良時代の税制度は、班田収授法によって確保された口分田(農地)を基盤に成立していました。租庸調などの税は、この土地制度を通じて賦課され、国家財政を支える重要な役割を果たしました。
班田収授法で農民に口分田が与えられると、それに応じて税が課されました。主に以下の税が存在しました:
これらの税は、班田収授法により公平に土地を配分する仕組みがあったからこそ徴収可能でした。
なお、租庸調など奈良時代の税に関しては、以下の記事で詳しく解説しています。
奈良時代の税を分かりやすく解説!:租・庸・調・雑徭・防人・出挙・義倉【中学生・高校生向けテスト対策】
墾田永年私財法は743年に発布された法令で、新しく開墾した土地を永久的に私有地として認める内容です。
背景には、班田収授法の機能不全があり、税収減少や労働力不足を補うために個人の開墾を奨励する政策が取られました。
この法令で大規模な開墾が進み、私有地が増加して貴族や寺社の力が強まる結果にもなりました。のちの荘園制につながっていきました。
墾田永年私財法は、班田収授法の基盤である公地公民制を崩壊させる原因となりました。
新しく開墾された土地が個人所有となったことで、班田収授法に基づく土地配分の意義が薄れ、国家の収入基盤が弱体化しました。この転換点は律令国家の終焉への一歩とも言えます。
班田収授法は、人口増加や墾田永年私財法の施行を受けて崩壊しました。この結果、公地公民制が機能しなくなり、荘園制度が台頭しました。
平安時代には、貴族や寺社が私有地を広げ、中央政府の権力は弱体化しました。各天皇が荘園整理令を出しましたが、あまり効果は上がりませんでした。
荘園や荘園整理令については以下の記事で詳しく解説しています。
【高校日本史】荘園公領制とは?寄進地形荘園・荘園整理令をわかりやすく解説!
関連年号として「645年の改新の詔」と「743年の墾田永年私財法制定」を押さえることが重要です。
また、「大化改新」や「律令体制の確立」といった大きな流れも把握しておくと理解が深まります。
※なお、大化の改新につながる「乙巳の変」について、以下の記事で詳しく解説しています。
高校日本史テスト対策:乙巳の変とは?大化の改新との違いを徹底解説
年号 | 出来事 |
645年 | 改新の詔(みことのり): 班田収受法が導入 |
701年 | 大宝律令制定: 班田収授法が明文化される |
723年 | 三世一身の法制定: 3代にわたって土地の私有が認められる |
743年 | 墾田永年私財法: 土地の永久私有化が認められる |
桓武天皇のころ | ・6年1班を12年1班に改められる ・班田収授の停止 |
班田収授法は土地を国有とし公平な配分を目指したのに対し、墾田永年私財法は土地の私有を認めた点で異なります。
この違いを簡潔に記述できるよう練習するとテストで役立ちます。
日本地図や戸籍図などを用いた問題が出題される場合、班田収授法の班給の仕組みや墾田永年私財法による土地の変化を具体的に説明できる力が求められます。
図解を使って復習するのが効果的です。
重要年号を語呂合わせで覚えるのが効果的です。「ナニサ(723)!三世一身の法」、「ナシサ(743)!墾田永年私財法」など。
以下の記事で日本史の語呂合わせを詳しく解説しています。
【大学受験】日本史の年号一覧と覚えやすい語呂合わせ(日米修好通商条約、ポツダム宣言、満州事変など)
また、「公地公民制」「荘園」などの用語も関連付けて覚えましょう。
記述問題では、「班田収授法が何を目的として制定されたか」や「墾田永年私財法との違い」を具体的に書く必要があります。
法令の名称と年号、目的と、その法令を出した天皇をセットで書けるように練習をしましょう。
日本史で覚えておくべき天皇について、以下の記事でまとめて解説しています。
日本史で覚えるべき天皇:大学受験に出やすい歴代天皇を順番に紹介(女性天皇は誰かも紹介)
過去問では、年号や法令の目的、内容の比較が頻出です。「班田収授法と墾田永年私財法の違いを説明せよ」などの問題に備え、具体例を用いて演習を重ねましょう。
なお、班田収授法などの一問一答問題を以下の記事に掲載しています。
日本史の一問一答:奈良時代の統治体制の問題や解説(班田収授、租庸調、二官八省一台五衛府など)
A: 班田収授法は645年、大化改新の一環として制定されました(改新の詔)。
A: 班田収授法の目的は、公地公民制に基づいて土地を国家が管理し、安定した税収を確保することでした。また、豪族による土地の私有化を防ぐ意図もありました。
A: 班田収授法では、6歳以上の男女に口分田(田地)を与え、彼らが亡くなった後にその田地を国家に返還する仕組みでした。これにより公平な土地配分が行われました。
A: 墾田永年私財法は743年に制定されました。
A: 墾田永年私財法では、新しく開墾した土地を永年にわたって個人所有として認めました。この政策は開墾を奨励し、耕作地を増やす目的がありました。
A:
A: 墾田永年私財法により、個人所有地が増加し、公地公民制が崩壊しました。これに伴い、班田収授法に基づく土地配分制度は徐々に機能しなくなりました。
A: 人口増加や墾田永年私財法の施行により、公地公民制の維持が困難になったためです。また、田地の返還が行われず、有力貴族や寺社による土地の私有化が進んだことも原因です。
A: 中大兄皇子や中臣鎌足が中心となり、律令体制を支えるための政策として制定されました。
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A:
A: 語呂合わせを使うのが効果的です。
A:
A: 班田収授法には律令国家の基盤を形成し、公地公民制を実現する目的がありました。しかし、班田収授法の停止と墾田永年私財法によって公地公民は崩壊。中央集権体制の弱体化や荘園制度の発展につながりました。
高校日本史テスト対策のために、班田収授法を解説してテスト頻出ポイントを紹介しました。ポイントをまとめると、次のようになります:
これらの知識を正確に押さえ、テスト対策を万全にしてください。
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