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【鎌倉幕府滅亡】日本史一問一答でスッキリ理解!高校生テスト対策の重要ポイント

高校生向けに日本史の一問一答問題と解説を用意しました。今回は鎌倉幕府の滅亡です。

鎌倉時代末期の両統迭立、得宗専制政治などをまとめています。

日本史探求の定期テスト対策、大学入試対策などにご活用ください!

※関連記事:日本史年号一覧:覚えやすい語呂合わせと入試によく出る重要な出来事

  1. 鎌倉幕府滅亡の背景と流れ
    1. 鎌倉幕府滅亡の原因とは?【簡単に解説】
      1. 後醍醐天皇の建武の新政への動き
      2. 幕府内の混乱と執権・北条氏の権威低下
    2. 幕府を滅亡させた「元弘の乱」とは?
      1. 元弘の乱(1331年〜1333年)の概要と結果
      2. 楠木正成、足利尊氏、新田義貞の活躍
    3. 1333年:新田義貞による鎌倉攻め
      1. 鎌倉幕府滅亡の決定的瞬間と北条氏の最期
    4. 【まとめ】鎌倉幕府滅亡のポイント
  2. テストで間違いやすいポイント:正中の変と元弘の変の違い
    1. 正中の変とは
    2. 元弘の変とは
    3. 正中の変と元弘の変の違いまとめ
  3. 日本史の一問一答:鎌倉幕府の滅亡
    1. 解答
  4. 【鎌倉時代】高校生向け日本史のテスト勉強法
    1. 年表をみながら出来事の順番を把握する
    2. 幕府と朝廷の関係性を把握する
    3. 執権の名前と出来事をセットで覚える
  5. 日本史の問題集
    1. 『金谷の日本史「なぜ」と「流れ」がわかる本 改訂版』
    2. 『日本史B一問一答【必修版】【完全版】』
    3. 『よくわかる高校日本史探究』
  6. 鎌倉幕府滅亡に関するQ&A
    1. Q1. 鎌倉幕府が滅亡したのは何年ですか?
    2. Q2. 鎌倉幕府を滅ぼした人物は誰ですか?
    3. Q3. 鎌倉幕府滅亡の直接的な原因となった戦いは何ですか?
    4. Q4. 元弘の乱で活躍した3人の重要人物は誰ですか?
    5. Q5. 後醍醐天皇はなぜ鎌倉幕府を倒そうとしたのですか?
    6. Q6. 鎌倉幕府滅亡時の執権は誰ですか?
    7. Q7. 鎌倉幕府滅亡後に始まった新しい政治体制は何ですか?
    8. Q8. 鎌倉幕府の滅亡を決定づけた新田義貞の攻撃で、北条氏はどこで自害しましたか?
    9. Q9. 足利尊氏は当初、鎌倉幕府側でしたが、後にどのような行動を取りましたか?
    10. Q10. 元弘の乱が起こった理由は何ですか?
  7. まとめ

鎌倉幕府滅亡の背景と流れ

鎌倉幕府は、1185年に源頼朝が開いた武家政権ですが、1333年に滅亡します。その背景には、後醍醐天皇を中心とした朝廷の反乱や、北条氏による支配のゆるみがありました。

以下、滅亡に至る原因と流れを詳しく解説します。

なお、鎌倉幕府の将軍について以下の記事でくわしく解説しています。
鎌倉幕府の将軍9名をわかりやすく解説!【高校生の日本史テスト対策】

鎌倉幕府滅亡の原因とは?【簡単に解説】

後醍醐天皇の建武の新政への動き

後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は、天皇による中央集権的な政治を理想とし、鎌倉幕府を倒して天皇中心の政治を復活させようとしました。

  • 建武の新政は後醍醐天皇が目指した改革ですが、その準備段階として鎌倉幕府に対する反乱を起こしました。
  • 1331年討幕計画が発覚し、後醍醐天皇は一度捕らえられますが、再び討幕運動を開始します。

幕府内の混乱と執権・北条氏の権威低下

鎌倉幕府後期の実権は、執権(しっけん)である北条氏が握っていました。しかし、以下の要因によりその権威が大きく揺らぎました。

  • 御家人の不満:元寇(げんこう)の後、恩賞が十分に与えられず、御家人(ごけにん)たちの不満が高まります。
  • 財政難:幕府は財政的に困窮し、政治的・軍事的支配力が弱まります。
  • 内部対立:北条一族内の権力争いも深刻化し、統率力が低下しました。

なお、鎌倉幕府の執権については以下の記事でくわしく解説しています。
鎌倉幕府の執権とは?歴代執権一覧と役割、北条氏の権力をわかりやすく解説【高校生テスト対策】

幕府を滅亡させた「元弘の乱」とは?

元弘の乱(1331年〜1333年)の概要と結果

元弘の乱(げんこうのらん)は、後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒そうと起こした一連の反乱です。

  • 1331年、後醍醐天皇は討幕計画を立てますが、失敗して隠岐(おき)に流されます。
  • その後、後醍醐天皇に味方する武士たちが各地で反乱を起こし、次第に幕府の支配が揺らぎます。

楠木正成、足利尊氏、新田義貞の活躍

元弘の乱では、以下の3人が特に重要な役割を果たしました。

  1. 楠木正成(くすのき まさしげ)
    • 南河内(大阪)で挙兵し、幕府軍に対してゲリラ戦を展開します。
    • 奇策を用いた戦いで幕府軍を苦しめ、討幕運動を支援しました。
  2. 足利尊氏(あしかが たかうじ)
    • 幕府方の有力御家人でしたが、後醍醐天皇に寝返り。六波羅探題を滅ぼします。
    • 尊氏の寝返りは討幕運動を大きく後押しし、鎌倉幕府崩壊の決定打となりました。
  3. 新田義貞(にった よしさだ)
    • 1333年、義貞は上野国(群馬県)で挙兵し、鎌倉を攻め落として幕府を滅ぼしました。

1333年:新田義貞による鎌倉攻め

鎌倉幕府滅亡の決定的瞬間と北条氏の最期

1333年5月、新田義貞は大軍を率いて鎌倉を攻撃しました。

  • 鎌倉の要塞化:鎌倉は天然の要害であり、幕府軍は抵抗しました。しかし、新田軍は鎌倉を包囲し、激しい戦いの末に突破しました。
  • 幕府の最期:幕府の執権であった北条高時(ほうじょう たかとき)は、幕府の崩壊を悟り、一族と共に東勝寺(とうしょうじ)で自害しました。

これにより、約150年間続いた鎌倉幕府は滅亡し、後醍醐天皇による建武の新政が始まります。

【まとめ】鎌倉幕府滅亡のポイント

  1. 後醍醐天皇の討幕運動と、武士たちの協力が幕府滅亡の大きな要因。
  2. 元弘の乱では、楠木正成・足利尊氏・新田義貞が重要な役割を果たした。
  3. 1333年、新田義貞による鎌倉攻めが決定的な一撃となり、鎌倉幕府は滅亡した。

この一連の流れは、南北朝時代そして室町時代への移行に繋がる重要な出来事であり、日本史のテストでも頻出です。

なお、鎌倉幕府滅亡後は南北朝時代に入ります。南北朝時代については以下の記事でくわしく解説しています。
【日本史 一問一答:南北朝時代】高校生のテスト対策に役立つ重要ポイントを徹底解説!

テストで間違いやすいポイント:正中の変と元弘の変の違い

1318年に即位した後醍醐天皇は2度にわたって鎌倉幕府討幕計画を立てました。

1度目が正中の変、2度目が元弘の変です。どちらもテストでよく問われるので、内容をまとめました。

正中の変とは

正中の変は1324年に起こりました。後醍醐天皇が側近の日野資朝と共謀しましたが六波羅探題に見つかり、処罰されています。

後醍醐天皇は表立ってのおとがめなし、日野資朝は佐渡に配流されました。

  • 後醍醐天皇→おとがめなし
  • 日野資朝→佐渡に配流

元弘の変とは

元弘の変は1331年に起こりました。後醍醐天皇による2度目の討幕計画です。

側近の日野俊基と計画を立てましたが、六波羅探題に密告されます。

後醍醐天皇は挙兵しますが捕らえられて隠岐に流されます。共謀した日野俊基は処刑され、正中の変で佐渡に流されていた日野資朝も処刑されました。

ところが後醍醐天皇の息子の護良親王は楠木正成らとともに戦い続けます。後醍醐天皇も隠岐から脱出することに成功し、足利尊氏が六波羅探題を攻め落とし、新田義貞が鎌倉を攻め落として鎌倉幕府は滅亡しました。

  • 後醍醐天皇→隠岐に配流→脱出
  • 日野俊基→処刑
  • 護良親王→抗戦をつづける
  • 足利尊氏→六波羅探題を攻め落とす
  • 新田義貞→鎌倉を攻め落とす

正中の変と元弘の変の違いまとめ

正中の変と元弘の変の違いを以下の表にまとめました。

首謀者発生した年目的結果
正中の変後醍醐天皇1324年鎌倉幕府を倒して天皇中心の政治を復活させようとした最初の計画計画は事前に発覚し、失敗。後醍醐天皇は処罰されず、未遂に終わった。
元弘の変後醍醐天皇1331~1333年鎌倉幕府を倒して天皇中心の政治を復活させようとした2回目のの計画幕府を滅亡させることに成功し、1333年に鎌倉幕府が滅びた。後醍醐天皇は建武の新政を開始。

日本史の一問一答:鎌倉幕府の滅亡

(1)後嵯峨上皇は後深草天皇を無理やり譲位させ、弟の亀山天皇を皇位につけました。そのため、皇位をめぐって皇族間が分裂しました。そのうち、兄の後深草天皇の血統を何統と呼びますか。

(2)弟の亀山天皇の血統を何統と呼びますか。

(3)持明院統と大覚寺統の皇族が交互に皇位につくことになりました。この状態を何と呼びますか。

(4)元寇以降、鎌倉幕府では北条氏の惣領に権力がさらに集まるようになりました。北条氏の惣領を何と呼びますか。

(5)得宗による独裁政治体制を何と呼びますか。

(6)得宗政治では得宗の家臣にも権力が集まるようになりました。得宗の家臣を何と呼びますか。

(7)御内人の代表(トップ)を特に何と呼びますか。

(8)9代執権・北条貞時の時代、内管領の平頼綱が有力御家人の安達泰盛をほろぼすという騒動がおきました。この騒動を何と呼びますか。

(9)14代執権・北条高時の時代に内管領となって政治の実権をにぎった人物は誰ですか。

(10)得宗専制政治に対して幕府内の御家人の反発が強まり、幕府や荘園領主に対する抵抗も強まりました。こうした、幕府や荘園領主に対して抵抗する武士のことを何といいますか。

(11)後醍醐天皇は大覚寺統と持明院統のどちらですか。

(12)1324年、後醍醐天皇は腹心の部下とともに討幕計画を立てましたが露見して失敗しました。この事件を何と呼びますか。

(13)正中の変で佐渡に配流された後醍醐天皇の腹心の部下は誰ですか。

(14)1331年、後醍醐天皇は再び討幕計画を立て、全国的な内乱状態になりました。この騒動を何と呼びますか。

(15)元弘の変により、後醍醐天皇はどこに配流されましたか。

(16)後醍醐天皇が隠岐に配流されたのち、持明院統の誰が天皇に即位しましたか。

(17)後醍醐天皇が隠岐に配流された後も、後醍醐天皇の息子は楠木正成らと協力して幕府に抵抗しました。この息子は誰ですか。

(18)六波羅探題を攻め落とした人物は誰ですか。

(19)鎌倉を占領した人物は誰ですか。

(20)鎌倉幕府が滅亡したときの執権は誰ですか。

解答

(1)持明院統

(2)大覚寺統

(3)両統迭立

(4)得宗

(5)得宗専制政治

(6)御内人

(7)内管領

(8)霜月騒動

(9)長崎高資(たかすけ)

(10)悪党

(11)大覚寺統

(12)正中の変

(13)日野資朝(すけとも)

(14)元弘の変

(15)隠岐

(16)光厳天皇

(17)護良親王(もりよし)

(18)足利高氏(のちの足利尊氏)

(19)新田義貞

(20)北条高時

【鎌倉時代】高校生向け日本史のテスト勉強法

鎌倉時代は出来事の順番と中心勢力の関係性を確認すると、勉強しやすいです。

鎌倉時代は1185年から1333年まで150年近くつづきました。

出来事や人物が多くて覚えにくいかもしれませんが、武家の動き、上皇・天皇の動きの両方を整理すると覚えやすくなります。

※関連記事:鎌倉幕府の将軍一覧:鎌倉幕府を開いた将軍から摂家将軍、皇族将軍まで9名の事績の紹介

年表をみながら出来事の順番を把握する

まず、年表をみながら出来事の順番を把握しましょう。

元寇を境として鎌倉幕府への不満が内外から強まります。「永仁の徳政令」「悪党の出現」「得宗専制政治」といった出来事は、鎌倉幕府や執権・北条氏への不満を原因としています。

出来事の順番が分かると、出来事の関係性や鎌倉幕府滅亡までの流れを理解しやすくなります。

※関連記事:鎌倉時代の年表:鎌倉時代の戦いなどの出来事を順番にわかりやすく解説します

幕府と朝廷の関係性を把握する

幕府と朝廷の関係性を重視しながら勉強しましょう。

天皇と幕府は持ちつ持たれつの関係で、形式上は天皇が鎌倉幕府に政治や対外戦を任せるというスタイルです。

幕府からすれば、「天皇に統治を任されている」という建て前があるからこそ、その権威にハクがつきます。同時に天皇(朝廷)には国内統治のための資金も軍勢もないため、幕府に統治してもらってはじめて自分たちも安定した生活を送れます。

源頼朝が全国の守護・地頭の任命権や年貢徴収権を得たのは1185年です。その後、1221年の承久の乱で朝廷と幕府の関係性は悪化し、朝廷監視のために六波羅探題が設置されます。

幕府優位な関係性ですが、元寇に対して幕府はその役割を果たし、日本国内も朝廷も平和が保たれます。

その後も天皇の息子(宗尊親王)を将軍として幕府に迎え入れるなど、互いを必要とする関係性はつづきます。

鎌倉時代末期に朝廷で異変が起こり、幕府は両統迭立によって混乱を収めようとします。ところが後醍醐天皇は自身の皇統(大覚寺統)に一本化するため討幕を決意します。

このように、幕府と朝廷の関係性を軸において鎌倉時代を勉強すると、出来事のつながりが分かりやすくなります。

執権の名前と出来事をセットで覚える

執権の名前と出来事をセットで覚えましょう。

鎌倉幕府内では執権・北条氏が権力をにぎっていきます。どの執権のときに何があったのかが定期テストや共通テストでもよく問われます。

特に、初代時政・2代目義時・3代目泰時・5代目時頼・8代目時宗・9代目貞時・14代目高時は順番と一緒に覚えておくと役立ちます。

執権名と出来事をセットで覚えると、それらの問題に答えやすくなります。

日本史の問題集

最後に日本史のおすすめ問題集を紹介します。

※関連記事:日本史文化史の参考書と覚え方

『金谷の日本史「なぜ」と「流れ」がわかる本 改訂版』

1冊目は日本史参考書の定番、「金谷の日本史」です。古代~近現代まで3冊と文化史1冊の合計4冊に分けて解説してくれています。

内容はオーソドックスで、教科書をさらにくわしく解説してくれています。

すべてじっくり読むというより、問題集で問題を解きつつ因果関係が分かりにくいときに参考書として使う人も多いです。

特に、共通テストを受ける人は『文化史』だけでも読んでおくと役立ちます。


金谷の日本史「なぜ」と「流れ」がわかる本【改訂版】 原始・古代史 (東進ブックス 大学受験 名人の授業)


金谷の日本史「なぜ」と「流れ」がわかる本【改訂版】 中世・近世史 (東進ブックス 大学受験 名人の授業)


金谷の日本史「なぜ」と「流れ」がわかる本【改訂版】 近現代史 (東進ブックス 大学受験 名人の授業)


金谷の日本史「なぜ」と「流れ」がわかる本【改訂版】文化史 (東進ブックス 大学受験 名人の授業シリーズ)

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『日本史B一問一答【必修版】【完全版】』

流れを理解できるようになったら、問題演習をして記憶に定着させる必要があります。

この問題集はそんなときに便利です。

「必修版」と「完全版」に分かれており、現在の学力や志望校のレベルに合わせて選べます。


日本史B一問一答【必修版】 (東進ブックス 大学受験 一問一答シリーズ)


日本史一問一答【完全版】2nd edition (東進ブックス 大学受験 一問一答シリーズ)

出版社:ナガセ

『よくわかる高校日本史探究』

学研が出版している「標準レベルまで」の参考書です。教科書よりも解説がくわしく、日本史探求に苦手意識を持っている人も理解しやすいです。

定期テスト対策用の問題ページもあり、定期テスト対策、中堅レベルまでに大学入試対策に便利です。


よくわかる高校日本史探究 (MY BEST)

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鎌倉幕府滅亡に関するQ&A

Q1. 鎌倉幕府が滅亡したのは何年ですか?

A1. 1333年に鎌倉幕府は滅亡しました。

Q2. 鎌倉幕府を滅ぼした人物は誰ですか?

A2. 新田義貞(にった よしさだ)が鎌倉を攻め、幕府を滅ぼしました。

Q3. 鎌倉幕府滅亡の直接的な原因となった戦いは何ですか?

A3. 元弘の乱(1331年~1333年)が鎌倉幕府滅亡の直接的な原因です。

Q4. 元弘の乱で活躍した3人の重要人物は誰ですか?

A4.

  1. 楠木正成(くすのき まさしげ)
  2. 足利尊氏(あしかが たかうじ)
  3. 新田義貞(にった よしさだ)

Q5. 後醍醐天皇はなぜ鎌倉幕府を倒そうとしたのですか?

A5. 後醍醐天皇は、天皇による中央集権的な政治を復活させるために、鎌倉幕府を倒そうとしました。

Q6. 鎌倉幕府滅亡時の執権は誰ですか?

A6. 北条高時(ほうじょう たかとき)が最後の執権です。

Q7. 鎌倉幕府滅亡後に始まった新しい政治体制は何ですか?

A7. 鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇による建武の新政が始まりました。

Q8. 鎌倉幕府の滅亡を決定づけた新田義貞の攻撃で、北条氏はどこで自害しましたか?

A8. 北条高時をはじめとする北条一族は、東勝寺(とうしょうじ)で自害しました。

Q9. 足利尊氏は当初、鎌倉幕府側でしたが、後にどのような行動を取りましたか?

A9. 足利尊氏は幕府側から後醍醐天皇側に寝返り、討幕運動を支援しました。

Q10. 元弘の乱が起こった理由は何ですか?

A10. 後醍醐天皇が天皇中心の政治を目指して鎌倉幕府を倒そうとしたためです。

まとめ

いかがでしょうか。

高校生の日本史の勉強用に、鎌倉幕府滅亡の流れを一問一答にまとめました。

両統迭立(大覚寺統と持明院統)にはじまり、後醍醐天皇による2度の討幕計画(1324年の正中の変と1331年の元弘の変)、得宗専制政治への反発、六波羅探題と鎌倉を攻め落とした人物(足利尊氏、新田義貞)など。

定期テストや共通テスト対策にご活用ください。

また、以下の記事では鎌倉幕府の仕組みや鎌倉時代の出来事を一問一答にまとめています。

日本史の一問一答(鎌倉時代):初代執権北条時政から5代目北条時頼までの武士社会
日本史の一問一答:鎌倉幕府の仕組み(鎌倉幕府の成立過程、侍所別当、御恩と奉公など)
鎌倉時代の一問一答:8代執権・北条時宗の元寇や9代執権・北条貞時の得宗専制政治
鎌倉時代の文化史の一問一答
日本史の一問一答:南北朝時代(建武の新政、南北朝動乱、南北朝統一まで)

【参考】
NHK for School
日本史事典.com

satoru

福地 暁です。 20年以上教育に携わり、現在は個別指導の塾を経営しています。 これまで3000組以上のご家庭を担当させていただき、中学受験(灘中・御三家など最難関含む)、高校受験、大学受験(医学部・旧帝大含む)への合格をアシストしてきました。 この記事では中学受験、高校受験、大学受験、英検・TOEIC対策、中学生・高校生の定期テスト対策など、さまざまな学習アドバイスをしています。 みなさまの学びにプラスになる情報をお伝えしていきます! よろしくお願いします。 1男1女の父。 どうやら娘には「甘いパパ」と思われているようで、 アイスやジュースをねだるときは必ずパパのところにきます。

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