平安時代は、貴族の政治や国風文化が栄え、やがて武士の登場につながる重要な時代です。
この記事では、平安時代の流れを年表つきでわかりやすく解説し、定期テストによく出るポイント・キーワード・覚え方までしっかりまとめました。
「鳴くよウグイス平安京」などの語呂合わせや、人物・文化の関係を整理しながら、テストに出る内容を短時間でおさらいしましょう!
平安時代の始まりと時代の背景
桓武天皇と平安京の建設(794年・鳴くよウグイス平安京)
なぜ都を平安京に移したのか
平安時代は、桓武天皇(かんむてんのう)が、794年(なくよウグイス平安京)に都を平安京(現在の京都)へ移したことから始まります。
この「遷都(せんと)」には、いくつかの大きな理由がありました。
- 政治の立て直しをしたかったから
奈良の都(平城京)では、貴族や寺院が政治に強く関わり、天皇の力が弱まっていました。
桓武天皇はこの状況を変えるため、政治に影響を与えすぎた寺院から離れた新しい場所に都を移しました。 - 新しい政治を始めるためのリセット
平城京では不正や権力争いが多く、政治が乱れていました。桓武天皇はそれを一新しようとしたのです。 - 地理的にも便利だったから
平安京は京都盆地にあり、周りを山で囲まれた守りやすい地形でした。また、川が流れていて交通や物資の運搬にも便利だったのです。
【まとめ】
桓武天皇は、寺院や貴族の影響を避け、政治の立て直しをするために平安京へ都を移した。
平安京が日本の政治・文化の中心になった理由
平安京は、その後400年以上も日本の中心として栄えました。
その理由は次の3つです。
- 天皇を中心にした政治が続いたから
桓武天皇以降も、長いあいだ都が移ることはなく、天皇の政治や儀式の中心地として発展しました。 - 貴族文化が育ったから
平安京では、貴族たちが和歌や絵画、文学などを楽しみ、のちに「国風文化(こくふうぶんか)」と呼ばれる日本独自の文化が生まれました。 - 戦争や災害が少なかったことも要因
奈良時代よりも安定した時代が長く続き、平安京は政治・経済・文化の中心地として発展しました。
【定期テストポイント!】
- 「平安京に都を移した天皇」→ 桓武天皇
- 「年号」→ 794年(鳴くよウグイス平安京)
- 「理由」→ 寺院勢力を避け、政治を立て直すため
平安時代の期間はいつからいつまで?
平安時代は、794年から1185年までの約400年間続きました。
はじまりは桓武天皇の平安京遷都、終わりは源頼朝(みなもとのよりとも)が鎌倉幕府を開く少し前、平氏が滅びた年(1185年)です。
つまり、
平安時代 = 「794年~1185年」
平安京の建設 → 摂関政治 → 院政 → 平氏の政治 → 源平合戦 の流れ
奈良時代との違いを整理しよう
| 比較項目 | 奈良時代(710〜794) | 平安時代(794〜1185) |
|---|---|---|
| 都 | 平城京(奈良) | 平安京(京都) |
| 政治の中心 | 天皇+仏教勢力 | 貴族(特に藤原氏) |
| 文化の特徴 | 唐の影響が強い「天平文化」 | 日本風の「国風文化」 |
| 代表的な出来事 | 聖武天皇・大仏建立 | 摂関政治・院政・源平の戦い |
【覚え方のコツ】
「奈良=仏教の力が強い」
「平安=貴族と文化が花ひらく」
中学歴史テストでよく出る年号・語呂合わせ
| 出来事 | 年号 | 語呂合わせ |
|---|---|---|
| 平安京遷都 | 794年 | 鳴くよウグイス平安京 |
| 摂関政治の全盛期(藤原道長) | 1000年ごろ | 一番のり道長・頼通時代 |
| 院政のはじまり(白河上皇) | 1086年 | 人をはむ(1086)白河上皇の院政 |
| 平氏が滅ぶ(壇ノ浦) | 1185年 | いい箱(1185)作ろう鎌倉幕府(鎌倉とセットで覚える) |
【テスト対策ポイント】
- 「平安時代の始まり=平安京遷都=794年」は必ず出る
- 「誰が移したか?」→ 桓武天皇をセットで覚える
- 語呂合わせを使って、年号を暗記しよう!
貴族が政治を動かす!摂関政治のしくみ
藤原氏の台頭と摂関政治の確立
平安時代の中ごろになると、藤原氏(ふじわらし)という貴族の一族が力を持つようになりました。
彼らはもともと天皇を支える立場でしたが、やがて自分たちが政治の中心になる仕組みを作り上げます。
それが「摂関政治(せっかんせいじ)」です。
※参考:藤原道長~貴族の政治とくらし~ | 歴史にドキリ | NHK for School
藤原道長・頼通の時代(「この世をば〜」の和歌)
藤原氏が大きな力を持った理由は、娘を天皇の后(きさき)にして、天皇の外祖父(母方の祖父)として政治を動かしたことです。
この方法で、藤原氏は「天皇の親族」という立場を利用して、実質的な権力をにぎりました。
特に有名なのが、
- 藤原道長(みちなが)
- その息子の 藤原頼通(よりみち) です。
藤原道長は、摂関政治の最も全盛期をつくり上げました。
彼の有名な和歌は次の一首です。
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば」
意味:
「この世は自分のものだ。満月のように、欠けたところがないほど完璧だ。」
この歌から、道長がどれほどの権力を持っていたかがわかりますね。
また、頼通は京都の平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)を建てた人物としても有名です。
(★テスト頻出:「藤原頼通 → 平等院鳳凰堂」)

【まとめ】
- 藤原氏は「天皇の外祖父」として政治を動かした。
- 摂関政治の全盛期は藤原道長・頼通の時代。
- 道長の和歌は権力の象徴。
摂政と関白の違いを整理しよう
摂関政治の「摂関」とは、摂政(せっしょう)と関白(かんぱく)をまとめた呼び方です。
この2つの役職の違いを整理しておきましょう。
| 役職名 | 担当する時期 | 役割 | 代表的な人物 |
|---|---|---|---|
| 摂政(せっしょう) | 天皇が子どものとき | 天皇の代わりに政治を行う | 藤原良房(よしふさ) |
| 関白(かんぱく) | 天皇が成人しているとき | 天皇を補佐して政治を行う | 藤原基経(もとつね) |
【ポイント】
- 最初の摂政:藤原良房(清和天皇のとき)
- 最初の関白:藤原基経(光孝天皇のとき)
- 「摂関政治」とは、この摂政と関白を藤原氏が独占して政治を行ったこと。
★テストに出る!
「摂政と関白の違いを説明せよ」
→ 摂政=子どもの天皇の代わり、関白=大人の天皇を補佐。
摂関政治のしくみを図で理解
中学生向けの覚えやすい「摂関政治の流れ」
以下のような流れで、藤原氏は権力を手に入れました。

このようにして、藤原氏は血のつながりを利用して権力を受け継いでいったのです。
【語呂合わせで覚えよう!】
摂関政治=「せっかく(摂関)天皇の親せき」
→ 天皇の親せき(外祖父)になって政治を動かす!
【定期テスト頻出】摂関政治に関する問題の出題例
以下は中学の定期テストでよく出る形式です。
問題と答えをセットで確認しておきましょう。
※参考:「ちばのやる気学習ガイド」社会1年生 – 千葉県教育委員会
| 問題 | 答え |
|---|---|
| Q1. 摂関政治とはどんな政治ですか? | 藤原氏が摂政・関白となって天皇に代わり政治を行った政治。 |
| Q2. 摂政と関白の違いを説明しなさい。 | 摂政は子どもの天皇の代わりに政治を行い、関白は大人の天皇を補佐する。 |
| Q3. 摂関政治が最も栄えたのは誰の時代ですか? | 藤原道長・藤原頼通の時代。 |
| Q4. 藤原頼通が建てた有名な建物は何ですか? | 平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)。 |
| Q5. 藤原道長の和歌「この世をば〜」は何を表していますか? | 自分の権力が絶頂に達していることを表す。 |
【テストのヒント】
- 「藤原氏」「摂関政治」「藤原道長」「平等院鳳凰堂」などは平安中期の定番キーワード。
- 年号はあまり問われませんが、「人物と出来事の組み合わせ」は高確率で出題されます。
まとめ
- 摂関政治=藤原氏が天皇の代わりに政治を行う政治制度。
- 藤原道長・頼通が全盛期を築き、日本独自の貴族文化(国風文化)も花開いた。
- 摂政=子どもの天皇の代理/関白=大人の天皇の補佐。
- 定期テストでは「人物+役職+建物+和歌」が頻出!
国風文化と仏教の変化

平安時代の中ごろ、藤原氏が政治の実権をにぎっていた時代に、日本独自の文化が大きく発展しました。
この文化を「国風文化(こくふうぶんか)」といいます。
※参考:ベネッセ:飛鳥文化・天平文化・国風文化の違いとは?【古代~平安時代】
日本の文化が花開く「国風文化」
奈良時代までは、中国(唐)から伝わった文化が中心でした。
しかし、平安時代の中ごろになると、遣唐使が停止され(894年・菅原道真の提案)、日本独自の文化が発展していきます。
【国風文化の特徴まとめ】
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 発展した時期 | 平安時代中ごろ(10〜11世紀) |
| 担い手 | 貴族(藤原氏など) |
| 特徴 | 日本らしさを重んじる、優雅で上品な文化 |
| 書き文字 | 漢字から生まれた「かな文字」 |
| 文学 | 『源氏物語』『枕草子』などの名作 |
| 建築 | 平等院鳳凰堂など、自然と調和した建物 |
【テストに出る!】
国風文化とは、「唐の文化をまねるのではなく、日本らしい文化が生まれた時代の文化」である。
かな文字と『源氏物語』『枕草子』
国風文化の大きな特徴は、かな文字(ひらがな・カタカナ)の登場です。
- ひらがな:漢字をくずして書きやすくした文字。女性の間でよく使われた。
- カタカナ:漢字の一部を使って作られた文字。僧侶や男性の公文書などに使われた。
この「かな文字」の登場により、女性も文学を書くことができるようになりました。
その結果、名作が次々と生まれます。
【代表的な作品と作者】
| 作品名 | 作者 | 内容 | ポイント |
|---|---|---|---|
| 『源氏物語』 | 紫式部(むらさきしきぶ) | 光源氏の恋愛と人生をえがいた長編小説 | 世界最古の長編小説とも言われる |
| 『枕草子』 | 清少納言(せいしょうなごん) | 宮中の生活や四季の美しさを日記風にまとめた随筆 | 「をかし(趣がある)」という言葉が有名 |
【覚え方のコツ】
「源氏(げんじ)と紫(むらさき)」→『源氏物語』と紫式部
「枕で清(きよ)く寝る」→『枕草子』と清少納言
中学テストで出る「国風文化」の代表作品
| 分野 | 代表作品・人物 | テスト頻出ポイント |
|---|---|---|
| 小説 | 『源氏物語』(紫式部) | 日本最古の長編小説 |
| 随筆 | 『枕草子』(清少納言) | 宮中生活の感想をまとめた |
| 書道 | 小野道風(おののとうふう) | 和様(わよう)とよばれる日本風の書を完成 |
| 絵画 | 大和絵(やまとえ) | 日本の風景や物語を描いた絵画様式 |
| 建築 | 平等院鳳凰堂(藤原頼通) | 浄土信仰をもとにした建築 |
【出題例】
Q. 『源氏物語』を書いた人物を答えなさい。
A. 紫式部(むらさきしきぶ)
Q. 平安時代の日本らしい文化を何というか。
A. 国風文化(こくふうぶんか)
仏教の新しい動き(浄土信仰の広がり)
平安時代の後半になると、社会が乱れ、戦いや飢えなどで人々は不安を感じるようになります。
そのなかで、「死後、極楽浄土(ごくらくじょうど)に行きたい」という考えが広まりました。
これを「浄土信仰(じょうどしんこう)」といいます。
この信仰では、阿弥陀仏(あみだぶつ)を信じて「南無阿弥陀仏」と唱えれば救われるとされました。
空也・源信・平等院鳳凰堂の特徴
| 人物・建物 | 内容・特徴 | テストポイント |
|---|---|---|
| 空也(くうや) | 阿弥陀仏を信じ、「南無阿弥陀仏」をとなえて人々に教えを広めた。 | 「市聖(いちのひじり)」とも呼ばれる。 |
| 源信(げんしん) | 『往生要集(おうじょうようしゅう)』を著し、地獄と極楽の世界をわかりやすく説いた。 | 浄土信仰を広めた僧。 |
| 平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう) | 藤原頼通が京都・宇治に建てた寺。阿弥陀如来像をまつる。 | 浄土信仰の建築の代表。10円玉の図案にもなっている! |
【覚え方】
「空(くう)を見上げて阿弥陀仏、頼通が建てた鳳凰堂」
覚え方&テストに出やすいキーワードまとめ
| テーマ | キーワード | 覚え方 |
|---|---|---|
| 国風文化 | かな文字・源氏物語・枕草子 | 「かなで書く文学」=女性文化 |
| 文化の担い手 | 貴族(藤原氏) | 貴族の生活が題材になる |
| 浄土信仰 | 阿弥陀仏・南無阿弥陀仏 | 「死後、極楽へ」 |
| 代表的僧 | 空也・源信 | くう(空)もげん(源)も信仰から |
| 建築 | 平等院鳳凰堂・藤原頼通 | 鳳凰堂=浄土信仰の象徴 |
【テストに出る!】
- 「国風文化」「浄土信仰」「平等院鳳凰堂」は平安時代の文化問題で必出。
- 作者・人物・建物の名前の組み合わせで出題されることが多い。
まとめ
- 平安時代の中ごろには、日本独自の国風文化が発展した。
- かな文字が生まれ、女性作家の『源氏物語』『枕草子』が誕生。
- 後半には、浄土信仰が広まり、空也・源信・平等院鳳凰堂が代表例となる。
- テストでは「文化+人物+作品+建物」の関係をセットで覚えるのがコツ!
武士の登場と院政のはじまり
なぜ武士が力を持ち始めたのか(平安時代後期の流れ)
平安時代の後半になると、貴族中心の都(平安京)だけで国全体を支えるのが難しくなり、地方で力を持つ武士が現れます。理由は大きく分けて次の点です。
※参考:NHK for School:武士の登場 | 日本史
- 荘園(しょうえん)と土地支配の問題
貴族や寺社が所有する私有地(荘園)が増え、年貢の取り立てや土地争いが地方で頻発しました。荘園を守り、税を集めるために現地で戦う「武装した人々=武士」が必要になりました。 - 治安の悪化・治安維持の必要性
地方では豪族同士の争い、山賊・掠奪など治安が悪化。朝廷の都からの指示だけでは対応しきれず、地元の有力者(国司や荘園領主)が現地の武力を頼るようになりました。 - 武士団の形成
こうした実戦経験を持つ人々が「武士団」としてまとまり、領地や給与(恩賞)をもらう代わりに戦う仕組みができました。武士は次第に武力だけでなく、土地や役職を通じて経済的にも力を持つようになります。
ポイント:
武士の台頭は「土地(荘園)をめぐる争い」と「治安対策」が原因。朝廷の中央集権が弱まるにつれ地方の武力が重要になった。
地方の治安悪化と武士団の誕生(具体イメージ)
- 荘園の年貢を横取りする勢力が現れる → 荘園領主が警護を雇う
- 護衛をする者が武士として地位を得る → 武士団を結成
- 武士団はやがて私的な軍事力になり、領地支配や軍事行動で影響力を拡大
覚え方(語呂):「荘園守る→武士現る(しょうえん まもる → ぶし あらわる)」
平氏と源氏の関係を整理しよう
平氏(たいら/平)と源氏(みなもと/源)は、平安時代に力をつけた二つの代表的な武家(源氏は「源」、平氏は「平」の姓を賜った一族)。もともと天皇の親族や朝廷から分かれた家系に由来します(例:皇族の子や親族に姓を与えて外部で活動させた)。
- 平氏(平)
- 出身:主に桓武平氏などから。平清盛(たいらのきよもり)が平氏の力を強め、政治に直接関与するようになる(平氏政権へ)。
- 特徴:海運や貿易での富、朝廷への接近を通じて権力を拡大。
- 源氏(源)
- 出身:源氏は桓武天皇などの流れをくむ武士の一族。地方で武力を持つ者が多い。
- 特徴:農村・地方での武力基盤が強く、後に源頼朝が鎌倉幕府を開く(平氏滅亡へ)。
二者の関係:最初は地方での勢力争い・朝廷内の競争が背景にあり、やがて政治権力を巡る対立(源平の争乱=後の源平合戦)へ発展します。
【テストに出やすい組み合わせ】
- 「平清盛(平氏) → 日宋貿易、権力集中」
- 「源氏(後に源頼朝) → 武家政権(鎌倉幕府)への流れ」
白河上皇の院政スタート
院政とは?天皇と上皇のちがい
- 天皇(てんのう):現役で即位している皇(国家の元首)。政治的・宗教的な地位を持つ。
- 上皇(じょうこう):退位した天皇。しかし退位後も政治的影響力を持つことができ、特に平安後期では実際の政治を動かす力が強くなりました。
院政(いんせい)とは、上皇が院(自分の政務拠点)を作り、退位したあとも政治を行う制度です。これを始めた代表的な上皇が白河上皇(しらかわじょうこう)で、1086年に院政を始めたと教科書に書かれています。
なぜ退位してまで政治を行ったのか?
- 退位して上皇になれば、冠位や儀式の枠にとらわれず自由に政治をコントロールできる。
- 自分の子や孫(形式上の天皇)を立てつつ、裏で実権を握る「裏政治」が可能になる。
院政期の政治と社会の変化をわかりやすく解説
院政が始まると、政治のあり方や社会の構造に次のような変化が起きます。
- 権力の分散化と複雑化
- 天皇(表の権威)+上皇(院政での実権)+摂関家(藤原氏)+地方の武士……と、政治権力は複数の勢力に分かれ、意思決定が複雑になりました。 - 院の軍事力・荘園支配の強化
- 上皇は院領(院の私有地)を持ち、これを管理するために武士を動員することが増えました。これが武士の一層の台頭を助けます。 - 地方武士の重要性上昇
- 上皇や貴族は武士を招聘して軍事力を頼るようになり、武士は名や領地を与えられて勢力を強めました。 - 政治の私物化(権力の私的利用)
- 院政では「親族中心の権力運用」が行われやすく、役職や土地が親族・支持者に配られる傾向が強まり、中央の統制力が落ちることもありました。 - 源平の争乱への伏線
- 院政期の権力争い・荘園問題・武士の台頭が積み重なり、最終的には平氏と源氏の大きな対立(源平合戦)へとつながっていきます。
【テストに出るポイント】
- 院政=退位した上皇が政治を行う仕組み。
- 白河上皇(1086年)が院政を始めたことは重要(年号での出題もある)。
- 院政期は武士の政治的役割が増す時代の幕開けとも覚えよう。
まとめ(テスト用チェックリスト)
- 武士が力を持ち始めた背景:荘園と土地争い・地方の治安悪化・武士団の誕生。
- 平氏と源氏:どちらも朝廷由来の武家だが、平氏は朝廷近くで権力を強め、源氏は地方の武力基盤を持つ。
- 院政とは:退位した上皇が政治を動かす制度。代表は白河上皇(1086年)。
- 院政の影響:政治の複雑化、院領と武士の結びつき強化、源平の争乱への伏線。
よく出る問題(練習問題)
- 問:院政とは何か、簡潔に説明せよ。
答:退位した上皇が「院」を中心に政治を行う仕組み。 - 問:武士が力を持つようになった理由を2つあげよ。
答:荘園(私有地)を守るために武力が必要になったこと、地方の治安悪化で現地の武力が頼られたこと。 - 問:平氏と源氏の特徴をそれぞれ1つずつ答えよ。
答:平氏は朝廷近くで政治力や海運での富を得た。源氏は地方での武力基盤を持ち後に武家政権を成立させた。
※もっと練習問題を解きたい人向けに、以下の記事に問題を多数掲載しています。
中学歴史 平安時代 一問一答問題集
平氏の政治と源平の戦い
平清盛が行った政治とその成果
平安時代の終わりごろ、貴族に代わって力を持ち始めたのが武士の代表・平清盛(たいらのきよもり)です。
清盛は日本で初めて政治の中心に立った武士であり、「武家政権のはじまり」への第一歩を築いた人物です。
※参考:古代(~平安時代)|平氏はなぜ源氏に滅ぼされたのか?|中学社会(ベネッセ)
日宋貿易と経済の発展
平清盛が行った最大の政策が、日宋貿易(にっそうぼうえき)です。
- 清盛は貿易港として大輪田泊(おおわだのとまり・現在の神戸港)を整備。
- 当時の中国(宋)と積極的に貿易を行い、日本にたくさんの物資を取り入れました。
輸入されたもの
→絹織物、陶磁器、銅銭(宋銭)など
輸出されたもの
→金、硫黄、真珠など
この貿易で日本は経済的に発展し、平氏は莫大な財力を得ました。
【テストに出るポイント!】
- 「日宋貿易」=平清盛が始めた貿易
- 「貿易の港」=大輪田泊(おおわだのとまり)
- 「貿易相手国」=宋(中国)
語呂合わせ:「清盛、宋とつながり大もうけ!」
(貿易によって武士が初めて経済的に力を持った時代です)
平氏政権の特徴と問題点
清盛は貴族と結びつき、娘の徳子(とくし)を天皇の后(きさき)にし、
その子(安徳天皇)を即位させて、「外戚(がいせき)」として実権を握りました。
つまり、武士でありながら貴族的な政治を行い、朝廷の中心に立ったのです。
【平氏政権の特徴】
- 武士が初めて国の政治を行った
- 貴族的なやり方(摂関政治のような外戚政治)をまねた
- 経済力(貿易)と軍事力(武士)を両方持っていた
【平氏政権の問題点】
- 一族中心の政治を行ったため、他の貴族や武士の不満が高まった
- 武士の間で「平氏ばかりが得をしている」という反感が生まれた
- 朝廷内でも敵を増やし、やがて全国的な反乱へ発展
【ポイント!】
平氏の政治は「成功と失敗がセット」
→成功=貿易・経済発展
→失敗=一族政治による反発
源平の争乱と平氏の滅亡
源頼朝の登場と鎌倉幕府への流れ
平清盛の死後(1181年)、平氏の力は次第に弱まっていきました。
一方、かつて清盛に敗れた源氏が再び動き出します。
その中心となったのが、源頼朝(みなもとのよりとも)です。
頼朝は伊豆に流されていましたが、1180年に挙兵(きょへい)し、全国の武士たちに味方を呼びかけました。
【源頼朝の動き】
- 1180年 頼朝が伊豆で挙兵(以後、源平合戦が始まる)
- 1180〜1185年 各地で源氏と平氏が戦う(源平の争乱)
- 源義仲・源義経などの源氏の活躍で平氏は敗北
- 1185年 壇ノ浦(だんのうら)の戦いで平氏滅亡
- 頼朝は鎌倉に本拠地を置き、後に鎌倉幕府を開く(1185年/1192年)
【テストに出る流れ(年号で覚えよう)】
| 出来事 | 年号 | 語呂合わせ |
|---|---|---|
| 源頼朝が挙兵 | 1180年 | 「いい箱つくろう鎌倉幕府」より少し前 |
| 壇ノ浦の戦い(平氏滅亡) | 1185年 | 「いい箱(1185)に平氏をおさめる」 |
| 鎌倉幕府の成立 | 1192年 | 「いい国つくろう鎌倉幕府」 |
壇ノ浦の戦い・平家滅亡の流れを整理
- 場所:壇ノ浦(だんのうら)=山口県下関市付近の海
- 年号:1185年
平氏と源氏の最後の決戦です。
平氏側は安徳天皇を守って船で戦いましたが、源義経(よしつね/頼朝の弟)の作戦により敗北。
平清盛の娘・徳子(安徳天皇の母)とともに、多くの平家の人々が海に沈みました。
【壇ノ浦の戦いのポイント】
- 源義経の「奇襲作戦」で源氏が勝利
- 平氏一族は滅亡(安徳天皇も入水)
- 平安時代の終わり、武士の時代が本格的に始まる
【まとめて覚えよう(源平の争乱〜鎌倉幕府へ)】
- 1180年 頼朝が伊豆で挙兵
- 1181年 平清盛死去
- 1183年 源義仲が京都に入る
- 1184年 一ノ谷の戦い(源義経が勝利)
- 1185年 壇ノ浦の戦いで平氏滅亡
- 1192年 源頼朝が征夷大将軍となり鎌倉幕府を開く
まとめ(テスト対策チェック)
| 項目 | 内容 | テスト出題率 |
|---|---|---|
| 平清盛の政治 | 日宋貿易・大輪田泊の整備 | ★★★ |
| 貿易相手 | 宋(中国) | ★★★ |
| 平氏政権の特徴 | 一族中心の政治・外戚政治 | ★★☆ |
| 源平の争乱 | 源頼朝が挙兵(1180年) | ★★★ |
| 壇ノ浦の戦い | 1185年・平氏滅亡 | ★★★ |
| 鎌倉幕府成立 | 1192年・源頼朝 | ★★★ |
※なお、以下の記事で平安時代のテストによく出る一問一答や記述問題を多数掲載しています。
中学歴史 平安時代 一問一答問題集
平安時代のまとめとテスト頻出ポイント
【中学生向け】平安時代の流れを年表で復習
平安時代は、794年の平安京遷都から、1185年の平氏滅亡(壇ノ浦の戦い)までの約400年間を指します。
奈良時代の流れを受け、貴族中心の政治 → 武士の時代への転換という大きな変化が起こった時代です。
平安時代の主要な出来事(年表)
| 年号 | 出来事 | 語呂合わせ・ポイント |
|---|---|---|
| 794年 | 桓武天皇が平安京に都を移す | 「鳴くよウグイス平安京」 |
| 9〜10世紀 | 藤原氏が摂関政治を行う | 摂政・関白で実権を握る |
| 1000年前後 | 藤原道長・頼通の全盛期 | 「この世をば~」の和歌で有名 |
| 10〜11世紀 | 国風文化が発展 | 『源氏物語』『枕草子』など |
| 11世紀後半 | 白河上皇の院政が始まる(1086年) | ★院政=上皇による政治 |
| 12世紀 | 武士の力が強まり、平氏が政治を握る | 平清盛・日宋貿易 |
| 1185年 | 源平の争乱、壇ノ浦の戦いで平氏滅亡 | 武士の時代(鎌倉幕府)へ! |
※以下の記事に平安時代のくわしい年表を掲載しています。
平安時代の年表
★ポイント★
平安時代は「貴族の政治」「国風文化」「武士の登場」という3本柱で理解すると整理しやすいです。
【定期テスト対策】よく出るキーワード一覧
中学歴史のテストでは、平安時代の政治・文化・宗教に関する用語が頻出です。
以下の表をまとめて覚えておくと高得点を狙えます!
政治関連
| 用語 | 意味・ポイント | テスト出題度 |
|---|---|---|
| 桓武天皇 | 平安京をつくった天皇 | ★★★ |
| 平安京 | 現在の京都にあたる都 | ★★★ |
| 摂関政治 | 藤原氏が行った政治 | ★★★ |
| 摂政 | 幼い天皇を助けて政治を行う役職 | ★★☆ |
| 関白 | 成人天皇を助けて政治を行う役職 | ★★☆ |
| 藤原道長・頼通 | 摂関政治の最盛期を築いた人物 | ★★★ |
| 院政 | 上皇が政治を行う仕組み(白河上皇) | ★★★ |
| 平清盛 | 武士として初めて政治の中心に立った | ★★★ |
| 日宋貿易 | 宋と貿易、大輪田泊を整備 | ★★★ |
文化・宗教関連
| 用語 | 意味・ポイント | テスト出題度 |
|---|---|---|
| 国風文化 | 日本風の文化(かな文字・文学) | ★★★ |
| 源氏物語 | 紫式部が書いた物語(世界最古の長編小説) | ★★★ |
| 枕草子 | 清少納言が書いた随筆 | ★★★ |
| かな文字 | 漢字をもとに日本語を書くために作られた文字 | ★★★ |
| 浄土信仰 | 阿弥陀如来を信じることで極楽へ行けるとする信仰 | ★★☆ |
| 空也・源信 | 浄土信仰を広めた僧 | ★★☆ |
| 平等院鳳凰堂 | 極楽浄土を表す寺院(藤原頼通) | ★★★ |
【覚え方のコツ】語呂合わせ&イラストで暗記しよう
中学生の定期テストでは、年号と人物名をセットで覚えることがカギ!
語呂合わせやイメージで記憶すると定着しやすくなります。
年号の語呂合わせ
| 出来事 | 年号 | 覚え方 |
|---|---|---|
| 平安京遷都 | 794年 | 鳴くよウグイス平安京 |
| 院政の開始(白河上皇) | 1086年 | 人ははむ(いれむ)院にこもる(1086) |
| 壇ノ浦の戦い(平氏滅亡) | 1185年 | いい箱に平氏をおさめる |
| 鎌倉幕府の成立 | 1192年 | いい国つくろう鎌倉幕府 |
人物・文化の覚え方(イメージで暗記)
- 藤原道長:「この世をば~」=天皇の外戚(祖父など)で最強の貴族
- 紫式部:『源氏物語』=光源氏の恋物語、宮中の女性の文化
- 清少納言:『枕草子』=日常の感想集、「春はあけぼの」で始まる
- 平清盛:海運でお金持ちになった武士、初の武家政権のリーダー
イラストで覚えるポイント
- 平安京の地図(碁盤の目のような都の形)
- 摂関政治の流れ(藤原氏→道長→頼通)
- 国風文化の代表作品(女性が筆でかな文字を書く様子)
- 壇ノ浦の合戦図(源氏の旗と平氏の船)


平安時代の一問一答(中学生向け)はこちら
「平安時代の流れや人物名をクイズ形式で復習したい!」という人は、
→ こちらの記事(中学歴史 平安時代 一問一答問題集)に練習問題を多数掲載しています。
実際のテストに近い形式でチェックしてみましょう!
まとめ|平安時代の流れをおさえればテスト対策は完璧!
重要人物・出来事・文化をセットで覚えよう
平安時代は「政治」「文化」「宗教」「武士の登場」がすべて出題されます。
バラバラに覚えるよりも、流れでつなげて整理すると覚えやすくなります。
セットで覚える例
| 分野 | 人物・出来事 | ポイント |
|---|---|---|
| 政治 | 桓武天皇 → 平安京 | 平安時代のスタート |
| 政治 | 藤原道長・頼通 → 摂関政治 | 貴族の最盛期 |
| 宗教・文化 | 紫式部・清少納言 → 国風文化 | 日本らしい文化の誕生 |
| 政治 | 白河上皇 → 院政 | 天皇から上皇への実権移動 |
| 武士 | 平清盛 → 日宋貿易・平氏政権 | 武士の台頭 |
| 戦い | 源頼朝 → 源平合戦・鎌倉幕府へ | 武士の時代へ! |
次の時代「鎌倉時代」へのつながりもチェック!
平氏が滅亡したあと、源頼朝が開いたのが鎌倉幕府(1192年)です。
平安時代の「貴族の政治」から、鎌倉時代の「武士の政治」へと時代が変わります。
つまり、平安時代の終わりは、日本史の大きな転換点!
次のテスト範囲(鎌倉時代)でも、
「なぜ武士が政治を行うようになったのか?」を平安時代の流れとつなげて覚えると得点力がぐっと上がります。
※以下の記事で、鎌倉時代の流れを年表を使ってくわしく解説しています。
【中学生向け】鎌倉時代の年表で一発理解!テストによく出る出来事と人物まとめ
まとめの一言
平安時代=「貴族の政治と日本文化の花開き」+「武士の登場」
この2つをセットで押さえれば、定期テストも高校入試も怖くない!


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