「第一次世界大戦って、何がきっかけで始まって、どう終わったの?」
そんな疑問を持っている中学生のみなさんへ。このページでは、第一次世界大戦の原因・きっかけ・戦争の流れ・終わり方までを、年表と図を使ってわかりやすくまとめました。
難しい言葉はなるべく使わず、テストに出やすいポイントや重要な人物もセットで紹介していくので、定期テスト対策や高校入試対策にピッタリです。
一緒に、歴史の流れをスッキリ整理して覚えましょう!
第一次世界大戦とは?|簡単にまとめるとどんな戦争?
第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)は、1914年から1918年にかけて、世界の多くの国が関わった大きな戦争です。
特にヨーロッパを中心に戦われましたが、日本やアメリカなども参戦したため、「世界大戦」と呼ばれます。
この章の参考リンク先:
Wikipedia – 第一次世界大戦
世界史の窓 – 第一次世界大戦
ジャパンナレッジ – 第一次世界大戦
いつ、どこで、誰と誰が戦ったの?
1914年〜1918年、ヨーロッパ中心の世界大戦
第一次世界大戦は、1914年(大正3年)に始まり、1918年に終わった約4年間の戦争です。戦場の多くはヨーロッパでしたが、アジア、アフリカ、中東、海上などにも戦火が広がり、まさに「世界規模の戦争」となりました。
この戦争は、それまでの戦争とは違い、国家全体が戦争に力を注ぐ「総力戦」となりました。新しい兵器(毒ガス・戦車・飛行機など)も登場し、被害もとても大きなものになりました。
連合国 vs 同盟国の対立構造
第一次世界大戦では、「連合国(れんごうこく)」と「同盟国(どうめいこく)」という2つのグループが対立して戦いました。
- 同盟国:ドイツ、オーストリア=ハンガリー帝国、イタリア(後に離脱)
- 連合国:イギリス、フランス、ロシア(のちにアメリカや日本も加わる)
最初に戦争を始めたのは「同盟国」の側ですが、次第に世界中の国が巻き込まれていきました。日本はイギリスと同盟を結んでいたため、連合国側として参戦しました。

なぜ第一次世界大戦は起きたのか?【原因】
第一次世界大戦の原因は一つではなく、いくつもの国どうしの対立や争いの種が積み重なったことで起こりました。
帝国主義と列強の対立
19世紀後半から20世紀初めのヨーロッパは、帝国主義(ていこくしゅぎ)の時代でした。
帝国主義とは:
強い国がアジアやアフリカの弱い国を植民地にして、自分たちの力を広げていこうとする考え方。
この時代、イギリス・フランス・ドイツなどの列強(れっきょう)=強い国が、アフリカやアジアの領土や資源をめぐって争っていたのです。
その結果、国どうしの緊張が高まり、いつ戦争が起きてもおかしくない状況になっていました。
三国同盟と三国協商
ヨーロッパの国々は、戦争になったときに味方になってくれる国を集めて、同盟関係をつくっていました。
- 三国同盟(1882年):ドイツ・オーストリア=ハンガリー・イタリア
- 三国協商(1907年):イギリス・フランス・ロシア
このような軍事同盟によって、もし一国が戦争を始めた場合、他の国々も巻き込まれて全面戦争になりやすい状態になっていたのです。
サラエボ事件と開戦のきっかけ
1914年6月、オーストリアの皇太子・フェルディナント夫妻が、サラエボ(現在のボスニア・ヘルツェゴビナ)で暗殺される事件が起こりました。
これが有名な【サラエボ事件】です。
暗殺をきっかけに、オーストリアはセルビアに対して宣戦布告し、ドイツやロシアなども次々と参戦。ヨーロッパ全体が戦争に巻き込まれていきました。
ポイントまとめ
- 第一次世界大戦は1914年~1918年の世界規模の戦争
- 連合国 vs 同盟国の対立で起こった
- 原因は「帝国主義」「同盟関係」「サラエボ事件」などの複合的な要因
- 戦争のきっかけはサラエボ事件の暗殺事件
第一次世界大戦の流れ【年表と図でわかる】
第一次世界大戦は、1914年から1918年にかけて起こった大戦争で、4年間の間に世界中が巻き込まれていきました。このセクションでは、年表にそって戦争の大きな流れを見ていきます。
戦争初期(1914年〜1915年)|ヨーロッパ各国の参戦
ドイツ・フランス・イギリス・ロシアの動き
1914年、サラエボ事件をきっかけに、オーストリアがセルビアに宣戦布告。これに対して、同盟関係にあった国々が次々に参戦しました。
- ドイツ:オーストリアの同盟国として参戦。ロシアとフランスに対して宣戦布告。
- フランス:ロシアと三国協商を結んでいたため、ドイツと戦うことに。
- イギリス:ドイツが中立国ベルギーに侵攻したことに反発し、連合国として参戦。
- ロシア:スラブ民族の保護を理由に、セルビア側で戦争に参加。
このように、ヨーロッパの列強が次々に戦争に巻き込まれていきました。
日本の参戦とドイツ領の占領(山東半島)
1914年、日本はイギリスとの同盟関係(日英同盟)を理由に、連合国側として参戦しました。
日本は次のような動きを見せます:
- ドイツが持っていた中国の山東半島(しゅうとうはんとう)や南洋諸島の領土を攻撃・占領。
- 「二十一か条の要求」を中国に出し、ドイツの旧権益を引き継ごうとした。
→ この動きはのちに中国から反発を受け、戦後の国際問題にも発展します。
※なお、二十一か条の要求について、以下の記事でくわしく解説しています。
【中高生向け】二十一ヵ条の要求とは?年表・内容・影響をわかりやすく解説|定期テスト&入試対策
戦争中期(1916年〜1917年)|総力戦と兵器の進化
戦争が長引くにつれて、兵士だけでなく国全体が力を出し切る「総力戦」へと変わっていきます。
毒ガス・戦車・飛行機など新兵器
この戦争では、近代兵器が次々と投入されました。
- 毒ガス:初めて大規模に使用された。敵兵の戦意をくじく。
- 戦車:塹壕(ざんごう)戦を突破するために開発。
- 飛行機:偵察・爆撃・空中戦などに使われるように。
→ これらの新兵器によって、戦場はますます悲惨なものとなり、民間人も巻き込まれるようになります。
ロシア革命とロシアの戦線離脱
1917年、ロシアでは「ロシア革命」が起こり、皇帝が退位して世界初の社会主義国家(ソビエト連邦)が誕生します。
- ロシア国内が不安定になったため、レーニンはドイツと講和し、戦争から離脱。
- ブレスト=リトフスク条約により、ロシアは東部戦線から撤退。
→ ドイツは東部の戦線がなくなり、西部に戦力を集中できるようになります。
アメリカの参戦と戦局の変化
同じく1917年、アメリカが連合国側として参戦しました。
- 理由の一つは、ドイツの無制限潜水艦作戦によってアメリカ船が被害を受けたため。
- もう一つは、ドイツがメキシコにアメリカへの攻撃をけしかける手紙(ツィンメルマン電報)を送っていたことが発覚。
→ アメリカの参戦により、連合国側の戦力は一気に増強され、戦局が連合国有利に傾きます。
終戦(1918年)|ドイツの敗北と講和条約
ドイツの降伏と休戦協定
1918年、ドイツはアメリカ参戦による戦力差、国内の食糧不足や民衆の不満の高まりから、戦争の継続が困難になります。
- ドイツ国内では革命も起こり、皇帝が退位。
- 1918年11月11日、ドイツは連合国と休戦協定を結び、第一次世界大戦は終結しました。
ヴェルサイユ条約とドイツへの厳しい条件
戦後、1919年に開かれた「パリ講和会議」で結ばれたのが【ヴェルサイユ条約】です。
内容はドイツにとってとても厳しいものでした:
- 領土の一部を失う(アルザス=ロレーヌなど)
- 多額の賠償金を支払う
- 軍備の制限(軍隊の縮小・武器の制限)
→ この条約はドイツ国民の不満を大きくし、のちのナチスの台頭や第二次世界大戦の原因にもつながっていきます。
ポイントのまとめ
- 初期(1914-15):ヨーロッパ各国+日本の参戦
- 中期(1916-17):毒ガス・戦車、ロシア革命、アメリカ参戦
- 終戦(1918):ドイツの降伏、ヴェルサイユ条約で戦争終結
第一次世界大戦の結果とその後の世界
第一次世界大戦は1918年に終わりましたが、その後の世界は大きく変わりました。ヨーロッパの地図は書き換えられ、多くの新しい国ができ、国どうしの関係も大きく変化しました。
この戦争は「近代の終わり」と「新しい時代の始まり」を意味するほどの大きな転機となりました。
世界への影響|地図と政治の変化
オーストリア・オスマン帝国の崩壊
第一次世界大戦で敗れた側(同盟国)のうち、特に大きな変化が起きたのがオーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国です。
- オーストリア=ハンガリー帝国は、たくさんの民族が1つの国の中に入っていた「多民族国家」でした。戦争に負けたことで、チェコスロバキア、ハンガリー、オーストリアなどに分裂しました。
- オスマン帝国(現在のトルコを中心とする帝国)も敗戦によって解体され、トルコ共和国が成立しました。他の中東地域はイギリスやフランスの支配下になりました。
→ これらの変化により、ヨーロッパや中東の地図が大きく変わりました。
民族自決と新たな国の誕生
第一次世界大戦後、「民族自決(みんぞくじけつ)」という考え方が重要視されるようになりました。
民族自決とは?
→ 「1つの民族は1つの国として、自分たちで政治を決めるべきだ」という考え方。
この考え方をもとに、次のような新しい国々が誕生しました。
- ポーランド(ロシア・ドイツ・オーストリアに分割されていたが、独立)
- ユーゴスラビア(南スラブ系民族が集まってできた国)
- フィンランド・エストニア・ラトビア・リトアニア(ロシア帝国から独立)
→ このように、民族の独立や再編が進んだ一方で、少数民族の問題も残る結果となりました。
国際連盟の設立と日本の立場
ウィルソンの十四か条
第一次世界大戦の終わりに、アメリカの大統領ウィルソンは「十四か条の平和原則」を発表しました。
この中で特に重要だったのが:
- 秘密外交の禁止
- 自由な貿易と海の自由
- 民族自決の尊重
- 戦争を防ぐための国際組織の設立
この「国際組織」がのちにできた【国際連盟(こくさいれんめい)】です。
- 国際連盟は1919年、平和を守るために設立された初めての国際機関。
- 本部はスイスのジュネーブに置かれました。
ただし、アメリカ自身は議会の反対で加盟せず、大国不在の状態が続きました。
日本の「二十一か条の要求」と中国の反発
日本は戦争中、ドイツの持っていた中国の権益を引き継ごうとして、1915年に中国に「二十一か条の要求」を突きつけました。
内容の一部:
- 山東半島の旧ドイツ権益の継承
- 満州・内モンゴルでの日本の権益強化
- 中国政府に日本人の顧問を置く など
→ 中国はこれに強く反発し、のちに五・四運動(1919年)という大きな反日運動が起きました。
また、ヴェルサイユ条約で日本の要求が認められたことにより、中国の反発はさらに強くなりました。
ポイントのまとめ
- 敗戦国の帝国(オーストリア・オスマン帝国)は崩壊し、多くの国が生まれた。
- 「民族自決」の考えが広まり、地図が大きく変化した。
- ウィルソンの十四か条をもとに「国際連盟」が設立された。
- 日本は中国に「二十一か条の要求」を出し、中国の反感を買った。
定期テスト・高校入試に出るポイントまとめ
よく出る用語・人物チェックリスト
ウィルソン・レーニン・ヒトラー前史など
定期テストや入試でよく問われるのは、「戦争を動かした人物」と「その考え方や立場」です。以下の3人は特に重要です。
- ウィルソン(アメリカ大統領)
→ 1918年に「十四か条の平和原則」を発表。戦後の平和を理想主義的に構想し、国際連盟設立を提唱した。日本の歴史では、パリ講和会議の中心人物として登場。 - レーニン(ロシア革命の指導者)
→ 第一次世界大戦中、ロシアで革命を起こし、世界初の社会主義国家・ソビエト連邦を樹立。戦争に反対し、ドイツと単独でブレスト=リトフスク条約を結び戦線離脱。 - ヒトラー(ナチスの指導者)
→ 直接は第一次世界大戦に関わっていないが、敗戦国ドイツの混乱と不満を利用して台頭。「第一次世界大戦の後」の人物として前史的に重要。
条約名・年号・同盟名
重要語句の暗記は、年号・出来事・関係国をセットで覚えるのがコツです。
項目 | 内容 |
---|---|
三国同盟 | 1882年、ドイツ・オーストリア・イタリアが結成 |
三国協商 | イギリス・フランス・ロシアの対抗勢力 |
サラエボ事件 | 1914年、第一次世界大戦のきっかけとなる事件 |
第一次世界大戦の開始 | 1914年、オーストリアがセルビアに宣戦布告 |
ロシア革命 | 1917年、ロシアで起こった革命(戦線離脱) |
アメリカ参戦 | 1917年、ドイツの無制限潜水艦作戦が理由 |
第一次世界大戦の終結 | 1918年、ドイツが降伏し、戦争終結 |
パリ講和会議 | 1919年、戦後処理のために開催された国際会議 |
ヴェルサイユ条約 | ドイツに対する厳しい賠償と軍備制限を決定 |
国際連盟 | ウィルソンの提案により設立(1920年) |
記述問題に強くなる!原因と結果のつなげ方
入試では「なぜ〜か?」「〜の影響は?」といった因果関係を問う記述問題が頻出です。
「なぜ第一次世界大戦が起きたのか?」への答え方
記述のコツ: 短い一文でまとめず、「対立 → 事件 → 開戦」の順で説明する。
記述例:
ヨーロッパでは三国同盟と三国協商という2つの軍事同盟が結ばれ、各国が対立していた。そうした中、オーストリア皇太子がサラエボで暗殺された事件をきっかけに、同盟国同士が次々に参戦し、世界大戦に発展した。
「第一次世界大戦の影響とは?」の記述例
記述のコツ: 戦争の「後」に起きた大きな出来事(例:ロシア革命、国際連盟、領土の変化)を具体的に述べる。
記述例:
第一次世界大戦の影響でロシアでは革命が起き、初の社会主義国家であるソビエト連邦が成立した。また、戦後の平和を目指して国際連盟が設立されたが、アメリカが参加せず、平和維持には限界があった。
関連記事・演習問題で復習しよう
【リンク】第一次世界大戦 一問一答|問題で確認しよう
→ 一問一答形式で重要語句・人物・年号・出来事の確認ができます。
【中学生向け】第一次世界大戦の一問一答問題
コメント