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奈良時代の天皇:各天皇の事績とその時代の出来事や中心人物を解説します

奈良の大仏 高校生勉強方法
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「古代は天皇がたくさんいて、いつ・誰がいたのかよく分からない」

このように感じている中学生や高校生は多いのではないでしょうか。

確かに日本史上天皇はたくさんおり、名前も順番もややこしいです。ですが、古代史は天皇を中心にして勉強すると歴史の流れがとても分かりやすくなります。

そこで、古代のなかでこの記事では奈良時代の天皇を順に紹介します。

※関連記事:奈良時代の年表

奈良時代の天皇の一覧

天皇在位期間政治的中心人物出来事 
元明天皇707年~715年藤原不比等【708年】和同開珎発行
【710年】平城京遷都
【711年】蓄銭叙位令
元正天皇715年~724年【718年】養老律令の制定
【720年】
・日本書紀完成
・藤原不比等死去
【723年】三世一身の法
長屋王【729年】
・長屋王の変
・光明子の立后(藤原家の権力地盤の強化)
聖武天皇724年~749年
橘諸兄(補佐:玄昉、吉備真備)【735年】藤原四兄弟相次いで死去(天然痘)
【740年】藤原広嗣の乱
【740~745年】遷都をくり返す
【741年】国分寺建立の詔
【743年】
・東大寺盧舎那仏建立の詔
・墾田永年私財法
 
孝謙天皇749年~758年橘諸兄・藤原仲麻呂【752年】大仏開眼供養
【757年】
・橘奈良麻呂の乱
・養老律令の施行
 
藤原仲麻呂 
淳仁天皇758年~764年藤原仲麻呂・道鏡【764年】
・恵美押勝の乱
・淡路に配流される(淡路廃帝と呼ばれる)
 
称徳天皇764年~770年道鏡【765年】道鏡が太上禅師に任命される
【769年】宇佐八幡宮神託事件
 
光仁天皇770年~781年藤原百川【773年】
井上内親王と他戸親王の追放
(藤原百川の権力地盤強化)
 
桓武天皇781年~806年藤原種継【784年】長岡京遷都
【785年】藤原種嗣が暗殺される
【794年】平安京に遷都
 

奈良時代の天皇の事績や出来事

奈良時代は710年から794年までです。その間、7名(孝謙天皇と称徳天皇は同一人物)の天皇がいました。各天皇の事績を振り返り、奈良時代の流れを確認します。

元明天皇:707年~715年

女性天皇です。文武天皇が若くして亡くなり、その死後に天皇位についた天皇です。持統天皇の異母妹もしくはめいにあたります。

聖武天皇を天皇位に就けるまでの中継ぎ天皇という位置づけでした。

708年に和同開珎を鋳造し、日本国内で流通させました。ただし、なかなか広まらなかったため711年に蓄銭叙位令を出して通貨の使用を促しています。

710年には藤原京から平城京に遷都しています。これが奈良時代の幕開けです。

平城京遷都以降は藤原不比等を重用しています。『古事記』の完成や『風土記』編纂の命令を出すなど積極的に天皇中心国家の運営安定化をはかっています。

715年に娘の元正天皇に譲位しています。女性天皇から女性天皇への譲位は史上唯一です。

また、720年に藤原不比等が亡くなってからは長屋王を重用しています。

元正天皇:715年~724年

日本史上5人目の女性天皇です。

720年、先代から政治的補佐を務めていた藤原不比等が亡くなります。不比等の息子たちは天皇の補佐になるには官位がまだ低かったため、長屋王が右大臣に任命されて補佐役をすることになりました。

723年、田地不足を補うため三世一身の法を出します。律令体制は「土地も人民も天皇の所有物」が前提のため、一時的にでも土地を民のものとする法令を出したことで、律令制度は崩壊しはじめます。

724年、成人した聖武天皇に譲位。譲位後も政務を担当し、聖武天皇を補佐しました。

聖武天皇:724年~749年

724年、母の元正天皇から譲位され天皇位に就きます。この頃、長屋王が右大臣として政務を補佐し、故藤原不比等の息子たちが実権をにぎろうと画策していました。

727年、夫人の光明子が出産しますが翌年亡くなります。長屋王が呪詛した(呪い殺した)と藤原四家による密告で729年に長屋王は自害に追い込まれます(長屋王の変)。

同年、藤原家側の光明子が立后し、藤原家の権力地盤は強化されました。

ところが735年、天然痘が大流行し、藤原四兄弟は相次いで亡くなります。当時、皇后として聖武天皇を補佐していた光明皇后は学者の橘諸兄を右大臣に任命し、天皇の政務補佐を命じます。

ところが橘諸兄は唐からの留学帰りである玄昉や吉備真備を重用し、藤原氏と距離を置いた政治をはじめました。

これに危機感をいだいた藤原広嗣は740年に反乱を起こしますが鎮圧、処刑されます(藤原広嗣の乱)。

長屋王→藤原四兄弟→藤原広嗣と立て続けに騒動が起こり、聖武天皇は精神的な疲労をきたしたとされます。740年から745年まで平城京から離れて恭仁京→難波宮→紫香楽宮→平城京と短期間に遷都をくり返します。

仏教に深く帰依し仏教の力で国の安定を望み、741年国分寺建立の詔、743年東大寺盧舎那仏像の造立の詔を出します。

さらに、荒地の増加に対応するため743年に墾田永年私財法を出しました。この法令により、律令制の崩壊は進みました。

孝謙天皇:749年~758年

749年、父の聖武天皇から譲位を受け天皇位に就きます。日本史上、6人目の女性天皇です。

当初は橘諸兄が政務補佐でしたが、藤原仲麻呂との協力体制で政治を進めるようになり、橘諸兄は政務の第一線から外れていきます。752年の東大寺盧舎那仏の開眼法会の時点ではすでに第一線から外れていたとされています。

さらに757年には橘奈良麻呂の乱が起き、迅速に鎮圧した藤原仲麻呂の功績をたたえて「恵美押勝」の名を与えます。また、同年には藤原仲麻呂が養老律令を施行し、律令体制への藤原氏の貢献の大きさを誇示します。

淳仁天皇:758年~764年

758年、孝謙天皇からの譲位を受けて天皇になります。政治の実権は藤原仲麻呂と孝謙太上天皇が握ります。

孝謙太上天皇が病に伏すと、看病にあたっていた道鏡が信用されるようになります。藤原仲麻呂からの助言もあり孝謙太上天皇に道鏡への信用をいさめたところ、孝謙太上天皇が激怒。

実権を奪われる危機感から764年に藤原仲麻呂(恵美押勝)が反乱を起こしますが鎮圧され、後ろ盾を失った淳仁天皇は孝謙太上天皇により退位させられ、淡路に配流されます。

称徳天皇(孝謙天皇の重祚):764年~770年

764年の恵美押勝の乱の後、孝謙太上天皇が重祚して称徳天皇となります。以降、道鏡を重用します。

765年には道鏡を太政大臣禅師に任命し、翌年には法王に任命して僧のトップに就けます。

道鏡も天皇位をねらい、769年には「道鏡を皇位につけるべし」という宇佐八幡宮の神託があったと報告します。ところがその真偽を確かめるために派遣した和気清麻呂がこの神託を虚偽であると報告したため、称徳天皇は激怒して道鏡を左遷します。

称徳天皇は病に伏してからも道鏡を近づけず、道鏡の権力は一気に衰えることになりました。

光仁天皇:770年~781年

称徳天皇の死後、天皇位に就きました。もともと天皇になる予定はなかったのですが、称徳天皇に子がないうえほかに天皇位につける男系皇族も少なく、天皇の候補となりました。

群臣の相談の結果、藤原百川の後押しで天皇に決定しました。

773年、藤原百川の画策により天武天皇の血統である井上内親王と他戸親王が庶民に落とされ、775年には怪死します。これにより、光仁天皇の皇子である山部皇子(のちの桓武天皇)が予定外の次期天皇になることが決定しました。

781年、大地震が発生。光仁天皇はその影響があったかどうかは不明ですが、その直後に亡くなりました。

桓武天皇(奈良時代最後の天皇):781年~806年

奈良時代最後の天皇は桓武天皇です。父・光仁天皇の死後に、それまで天皇の血統と異なる血統の皇族として天皇位に就きます。

新たな時代のはじまりとして、また奈良の仏教勢力による政治介入を避けるために784年に長岡京に遷都を開始。

ところが785年に長岡京造営の責任者であり政務補佐役筆頭の藤原種継が暗殺されます。さらに793年に大雨で大洪水が発生。

和気清麻呂の建議を受けて794年に平安京に遷都します。ここが奈良時代の終わりであり、平安時代のはじまりとなります。

天皇の動きで奈良時代の流れが把握できる

奈良時代は天皇の動きをみるとポイントが整理されて、歴史の流れを理解しやすくなります。

聖武天皇までは律令制の完成とその一部崩壊が見られた時期で、天皇と貴族を中心とした政治体制でした。この頃は藤原氏か長屋王・橘氏といった皇族(元皇族)が天皇の補佐をしていました。

孝謙天皇から称徳天皇までは道鏡のような仏教勢力の政治介入が大きくなり、朝廷内が大きく混乱します。

その後の光仁天皇・桓武天皇はそれまでの天武天皇系ではなく、藤原氏を大きな後ろ盾とした天皇であり、長岡京や平安京への遷都によって政治体制を転換させていく時期になりました。

このように、天皇を中心とした動きをみると奈良時代は理解しやすくなります。


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まとめ

奈良時代の天皇を一覧にしました。奈良時代は710年~794年までの間(元明天皇による平城京遷都から桓武天皇による平安京遷都)で、7名の天皇がいました。

また、奈良時代は律令制が崩壊しはじめ、道鏡に代表されるように僧の政治介入もあった時代です。各天皇の事績を振り返りながら奈良時代の流れを説明しました。

日本史探求のテストや大学入試対策にご活用ください。

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福地 暁です。
個別指導の塾を経営しています。

これまで3000組以上のご家庭を担当させていただきました。
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