日露戦争は、中学歴史の定期テストや高校入試でも頻出の重要な出来事です。
「なぜ戦争が起きたの?」「ポーツマス条約って何?」「日清戦争との違いは?」など、混乱しやすいポイントを、この記事では中学生向けにわかりやすく図解とともに解説します。
年号や重要人物の整理、テストによく出るポイントもしっかりおさえて、得点アップにつなげましょう!
日露戦争とは?中学生向けにわかりやすく意味を解説
日露戦争(にちろせんそう)は、1904年(明治37年)から1905年(明治38年)にかけて、日本とロシアの間で起こった戦争です。戦争の主な理由は、朝鮮半島や中国東北部(満州)への影響力をどちらが持つかをめぐって、両国の対立が深まったことでした。
この戦争によって、日本は世界の列強の一員として認められるようになり、その後の歴史にも大きな影響を与えました。特に、ポーツマス条約の内容や、東郷平八郎の活躍などは、定期テストでもよく出るポイントです。
参考:Try It「5分でわかる!日露戦争とポーツマス条約」
なぜ日露戦争が起きたのか?その原因をやさしく整理
日露戦争の原因は、朝鮮半島と満州をめぐる日本とロシアの対立です。日清戦争の結果、日本は朝鮮への影響力を強めましたが、その後ロシアなどの三国干渉によって遼東半島を清に返すことになりました。
その後もロシアは満州に進出し、満州を占領したまま居座りつづけたり、韓国にも影響を広げようとしたりしました。これに対して日本は、
- 「韓国を守りたい」
- 「ロシアの南下政策を止めたい」
という考えから、開戦を決意することになったのです。

どこで起きた?戦争の舞台(満州・朝鮮半島)を確認しよう
日露戦争は、主に中国の満州(現:東北地方)と朝鮮半島、そして海上で戦われました。
- 満州(奉天など)では地上戦(陸戦)
- 日本海では海戦(特に日本海海戦)
- 朝鮮半島は軍の通り道となり戦略的に重要な場所
とくに満州と朝鮮は、ロシアと日本の両方が勢力を広げたい場所だったため、争いの中心となったのです。
日清戦争との違いは?混同しないための比較ポイント
比較項目 | 日清戦争(1894〜1895) | 日露戦争(1904〜1905) |
---|---|---|
相手の国 | 清(中国) | ロシア |
原因 | 朝鮮半島への影響力争い | 朝鮮と満州への影響力争い |
勝った国 | 日本 | 日本 |
条約の名前 | 下関条約 | ポーツマス条約 |
特徴 | 初めて日本が外国と戦争して勝った | 世界の列強(強国)ロシアに勝ったことで注目された |
※ 両方とも「朝鮮半島をめぐる争い」だった点は共通していますが、相手が違うこと、条約名が違うこと、世界の評価の変化がポイントです。
※なお、日清戦争については、以下の記事でくわしく解説しています。
【中学生向け】日清戦争をわかりやすく解説!定期テストによく出る年号・流れ・条約・重要人物まとめ
日露戦争の流れを時系列で整理!年号とともに覚えよう
日露戦争は1904年に始まり、1905年に終わる短期間の戦争ですが、重要な戦いがいくつかあります。年号と出来事をセットで覚えることが、テスト対策の基本です。
※なお、問題をたくさん解いて練習したい人向けに、以下の記事に一問一答問題や記述問題を多数掲載しています。
【中3歴史】日清戦争・日露戦争の一問一答問題
1904年:開戦〜旅順攻撃・仁川沖海戦
- 1904年2月6日:日本がロシアに宣戦布告(せんせんふこく)
- 2月8日:旅順(りょじゅん)港を奇襲(海軍の攻撃)
→ ロシアの太平洋艦隊にダメージを与える - 2月9日:仁川沖海戦(朝鮮半島近く)でも日本が勝利
この年は、日本が朝鮮半島と満州に軍を進めながら、海でも戦っていたことがわかります。
1905年:奉天会戦・日本海海戦と勝利
- 3月:奉天会戦(ほうてんかいせん)
→ 満州で行われた最大の陸戦。日本が勝利。 - 5月27〜28日:日本海海戦(にほんかいかいせん)
→ 東郷平八郎の率いる日本海軍が、ロシアのバルチック艦隊を全滅させた歴史的勝利
この2つの戦いは、ロシアを降伏に追い込む大きなきっかけとなり、日露戦争の勝敗を決める重要な場面となりました。
図でわかる!日露戦争の全体の流れまとめ【図解つき】

▼日露戦争のかんたん年表
年 | 出来事 |
---|---|
1904年2月 | 開戦、旅順港攻撃、仁川沖海戦 |
1905年3月 | 奉天会戦(満州)で日本勝利 |
1905年5月 | 日本海海戦でロシアの艦隊を撃破 |
1905年9月 | ポーツマス条約が結ばれる(戦争終結) |
▼ワンポイント:ここが重要!
- 日本は世界の強国ロシアに軍事力で勝利
- でも戦費がかさみ、賠償金が取れず国民が怒る(日比谷焼き討ち事件)
- ポーツマス条約の内容もテストに出やすいので要チェック!
ポーツマス条約とは?内容のまとめ【中学生向け】
ポーツマス条約(ポーツマスじょうやく)は、1905年(明治38年)に日露戦争を終わらせるために結ばれた平和条約です。この条約によって、日本とロシアの戦争は終結し、日本はさまざまな利益を得ました。
条約の名前は、アメリカのニューハンプシャー州・ポーツマスという町で会議が開かれたことに由来しています。
参考:国立公文書館「日露講和条約(ポーツマス条約)が結ばれる:日本のあゆみ」
どんな国が関わった?アメリカが仲介した理由
ポーツマス条約は、日本とロシアの代表がアメリカで話し合って決めた条約です。会議を仲介したのは、当時のアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトです。
▼なぜアメリカが仲介したの?
- 日本とロシアの戦争が長引けば、アジアでの貿易やアメリカの利益に悪影響が出ると考えたからです。
- アメリカは中立の立場であり、両国から信頼されやすかったためです。
アメリカの働きかけによって、日本とロシアは戦争をやめ、条約を結ぶことに合意しました。
条約の内容をやさしく整理【賠償金は?領土は?】
ポーツマス条約には、日本にとって有利な内容と、不満の残る内容がありました。特に、「領土」については日本が得たものが多かったのですが、「賠償金」がもらえなかったことが大きな問題となりました。
日本が得たもの
ポーツマス条約によって、日本はロシアから次のような利益を得ました。
▷ 韓国に対する支配権(保護国化の第一歩)
- ロシアが韓国に対する日本の優越権(ゆうえつけん)を認めたことで、
日本はこのあと韓国を保護国→植民地(1910年の韓国併合)へと進めることになります。
▷ 南樺太(みなみからふと)
- 樺太(からふと)は今の北海道の北にある島です。
戦争前はロシア全体の領土でしたが、北緯50度以南の南樺太が日本領になりました。
▷ 遼東半島南部の租借権(そしゃくけん)
- 遼東半島(りょうとうはんとう)は中国東北部にある半島で、
ロシアが借りていた地域(旅順(りょじゅん)・大連)を日本が引き継ぐ形で使う権利を得ました。
ここは軍事と経済の重要拠点でした。
▷ 南満州鉄道の一部権益(けんえき)
- 満州にあった鉄道のうち、ロシアが持っていた南満州部分(旅順〜長春間)の権利を日本が得ました。
→ 日本はここに満鉄(まんてつ)=南満州鉄道株式会社を作って支配を強めました。
得られなかったものとその理由
▷ 賠償金がもらえなかった理由
日本は、戦争に勝ったことでロシアから賠償金(戦争のお金)を受け取ろうとしました。
しかしロシアは、
- 戦争に負けたとは認めない姿勢
- 国内で革命が起きそうなほど不安定な情勢
という理由から、「賠償金は払えない」と強く拒否しました。
また、仲介役のアメリカも日本に「我慢してほしい」と働きかけたため、日本は賠償金をあきらめざるを得なくなったのです。
▷ 国民の不満と「日比谷焼き討ち事件」
賠償金がもらえなかったことに、日本国民は大きく怒りました。
- 「せっかく勝ったのに、お金がもらえないのはなぜだ!」
- 「政府は弱腰だ!」
という不満が爆発し、東京・日比谷公園で開かれた講和反対集会が暴動に発展。
これが日比谷焼き討ち事件(1905年)です。
この事件では、新聞社・警察署・電車などが焼かれるなど、大きな被害が出ました。
▼まとめ:ポーツマス条約のポイント(定期テスト対策用)
覚えるべきポイント | 内容 |
---|---|
条約が結ばれた年 | 1905年 |
場所 | アメリカ・ポーツマス |
仲介した国 | アメリカ(大統領:セオドア・ルーズベルト) |
日本が得たもの | 南樺太、韓国の支配権、旅順・大連の租借権、南満州鉄道の一部 |
日本が得られなかったもの | 賠償金(→国民の怒り) |
その後の事件 | 日比谷焼き討ち事件 |
日露戦争で覚えるべき重要人物まとめ【中学歴史テスト対策】
日露戦争の理解に欠かせないのが、日本とロシア、それぞれの重要人物です。テストでは、人物の名前だけでなく「どんな役割を果たしたか」「どの出来事と関わったか」を問われることが多いので、役割と関連する事件・条約とセットで覚えましょう。
日本側の人物
▷ 伊藤博文(いとう ひろぶみ)…戦争前の外交・韓国への影響力
- 明治時代の中心的な政治家で、日本初代内閣総理大臣。
- 日露戦争が始まる前、朝鮮半島における日本の影響力を強めるための外交を行った。
- 日露戦争後には、韓国に「統監府(とうかんふ)」を設置し、自ら初代統監に就任。
→ この動きが韓国併合(1910年)へとつながっていく。
☑【テスト対策ポイント】
「伊藤博文は日露戦争の前後で、韓国にどのような影響を与えたか」を説明できるように!
▷ 小村寿太郎(こむら じゅたろう)…ポーツマス条約の全権大使
- 外交官・政治家で、日露戦争の講和(こうわ=戦争を終わらせる交渉)を担当した。
- アメリカのポーツマスで開かれた会議で、日本代表の全権大使として活躍。
- 南樺太の獲得や韓国への優越権の承認など、日本に有利な内容を引き出すことに成功。
- しかし、賠償金を得られなかったため、帰国後に批判されることも多かった。
☑【テスト対策ポイント】
「ポーツマス条約の日本側代表」として、小村寿太郎の名前は必ず覚える!
▷ 東郷平八郎(とうごう へいはちろう)…日本海海戦での活躍
- 海軍の大将で、日露戦争の最大の勝利「日本海海戦」を指揮。
- 世界でも有名な海戦で、ロシアのバルチック艦隊をほぼ全滅させ、日本の勝利を決定づけた。
- 「東洋のネルソン」とも呼ばれ、世界中から賞賛された。
☑【テスト対策ポイント】
「日本海海戦」「バルチック艦隊」といえば東郷平八郎。名前と海戦をセットで暗記!
ロシア側の人物
▷ ニコライ2世(にこらいにせい)…ロシア皇帝(ツァーリ)
- 日露戦争当時のロシア皇帝(国王)。ロマノフ王朝最後の皇帝。
- 朝鮮や満州への勢力拡大を進め、日本と対立。
- 戦争では国民の不満をおさえきれず、戦後にロシア革命のきっかけを生むこととなった。
☑【テスト対策ポイント】
「日露戦争でロシアの皇帝だったのは誰?」という選択肢に備えて覚えておこう!
▷ ロジェストヴェンスキー…バルチック艦隊の司令官
- ロシアの海軍将官。バルチック艦隊(ロシアの主力艦隊)の司令官。
- 地球の半分以上を回って日本に向かい、日本海海戦で東郷平八郎の艦隊と激突。
- 結果的に大敗し、バルチック艦隊は壊滅した。
☑【テスト対策ポイント】
名前はやや難しいが、日本海海戦でロシアの指揮官だった人物として出題されやすい。
▼まとめ:人物と役割をセットで覚えよう!
名前 | 国 | 主な役割 |
---|---|---|
伊藤博文 | 日本 | 韓国への支配を進めた政治家。統監府の初代統監。 |
小村寿太郎 | 日本 | ポーツマス条約の日本全権大使。 |
東郷平八郎 | 日本 | 日本海海戦の指揮官。ロシア艦隊を撃破。 |
ニコライ2世 | ロシア | 当時の皇帝。戦争後にロシア革命へ。 |
ロジェストヴェンスキー | ロシア | バルチック艦隊の司令官。日本海海戦で敗北。 |
まとめ:日露戦争のポイントをおさらいしよう!
日露戦争は、朝鮮半島や満州をめぐって日本とロシアが争った戦争で、明治時代の日本にとって大きな意味を持つ出来事でした。特に覚えておきたいポイントは次の通りです。
- 原因:日本とロシアが朝鮮・満州での勢力を争ったこと
- 年号:開戦は1904年(明治37年)、講和条約は1905年(明治38年)
- 戦いの流れ:旅順・奉天の戦い、日本海海戦などで日本が勝利
- 結果と条約:ポーツマス条約で戦争は終結、日本は韓国に対する影響力を強めた
- 覚えるべき人物:伊藤博文、小村寿太郎、東郷平八郎、ニコライ2世、ロジェストヴェンスキー
定期テストでは、「なぜ戦争が起きたか」「どんな戦いがあったか」「ポーツマス条約の内容」などがよく出題されます。年号や人物名をしっかり覚え、流れをつかんでおくと得点アップにつながりますよ!
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