「奈良時代は税がいくつもあって、どれが何の税なのかよく分からない」
このように感じている中学生、高校生は多いのではないでしょうか。
漢字も見慣れないものが多く、正直覚えにくいかもしれません。ですが、定期テストや入試でよく出てくる分野です。
そこで、この記事では奈良時代の税についてまとめ、練習問題を用意しました。
租庸調などの税の知識を整理して覚え、テストで得点源にしましょう!
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奈良時代の税の内容
奈良時代の租税は、祖・庸・調・雑徭・防人・運脚・出挙・義倉・仕丁などが良く出てきます。それぞれの税の内容をまとめました。
なお、中学生は祖・庸・調・雑徭・防人まで覚えておけば大丈夫です。
祖とは
祖は「そ」と読み、天皇から貸し出された土地(口分田といいます)を耕し、収穫した稲の約3%を朝廷に納める税です。
田はあくまで「貸し出されたもの」なので、死ぬと朝廷に返さないといけませんでした。
これを班田収授と言います。
庸とは
庸は「よう」と読み、都(奈良)にのぼって10日間の労役(力仕事)につくか、布など地元の特産物を納める税です。
10日間の労役につくためにわざわざ何か月もかけて都に移動する必要があるため、大抵は布などを納めていました。
調とは
調は「ちょう」と読み、地方の特産物を税として納めます。布や絹、漆、工芸品などが多かったようです。
納められた物品は朝廷の倉庫に保管され、官人(朝廷の役人)の給与にあてられていました。
雑徭とは
雑徭は「ぞうよう」と読み、年間60日以下の労役をする税です。治水工事や国衙の修理などをしていました。
防人とは
防人は「さきもり」と読み、九州の警備をする税です。主に関東地方の民が徴集されていました。
奈良時代には新羅の海賊がたびたび九州沿岸を襲ってきており、警備をする兵士を必要としていました。
3年間任務につく必要があり、関東地方から九州まではるばる出かけ、その間田植えもできず、民にとって非常に重い負担になっていました。そこで関東地方からの徴収方式が8世紀に中止され、さらに桓武天皇が防人を廃止しました(792年健児の制)。
運脚とは
運脚は「うんきゃく」と読み、庸や調の税(布などの特産物)を都に運ぶことを指します。
都に運ぶまでの何日もかかりますが、その間の食事代は支給されなかったため、民にとって非常に重い税負担でした。
出挙とは
出挙は「すいこ」と読み、稲の高利貸しです。
もともとは、稲の種子がないために翌年に稲作ができなくなった農民に種子を貸し、その利息を取り立てるものでした。
その後、稲の種子を持っている農民にも強制的に貸し出して、強制的に利息を取り立てるようになりました。
仕丁とは
仕丁は「じちょう」と読み、20歳以上60歳未満の男子(=正丁)が50戸ごとに2人駆り出されて、都で官吏の雑役を担当する税でした。
こちらも、都まで行かねばならず、留守の間は口分田の開墾が残された家族にとって負担でした。
義倉とは
義倉は「ぎそう」と読み、飢饉に備えて農民から一定量の稲や麦などを徴収して備蓄しておく税です。
奈良時代の税まとめ
奈良時代の税の名称と内容を、中学生・高校生に分けて表にまとめました。
中学生が覚えておくべき奈良時代の税
租税の種類 | 租税内容 |
祖(そ) | 収穫の約3% |
庸(よう) | 10日の労役か布など |
調(ちょう) | 地方の特産物(絹・綿・布など) |
雑徭(ぞうよう) | 年間60日以下の労役 |
防人(さきもり) | 九州の防衛にあたる |
高校生が覚えておくべき奈良時代の税
租税の種類 | 租税内容 | 財源 |
祖 | 収穫の約3% (田1段につき、稲2束2把) | 諸国 |
庸 | 都での10日の労役か布など → 布などを納めることが多かった(結果的に調と同じ税) | 中央 |
調 | 地方の特産物(絹・綿・布など) | 中央 |
雑徭 | 国司の命令下で年間60日以下の労役 | 諸国 |
防人 | 九州の防衛にあたる | 諸国 (主に関東地方) |
運脚 | 調・庸の都への運搬 | 中央 |
出挙 (すいこ) | 稲などの強制貸付 | 諸国 |
仕丁 (じちょう) | 50戸ごとに正丁2人が中央官吏の雑役を担当 | 中央 |
義倉 (ぎそう) | 飢饉に備えて食料の備蓄 | 諸国 |
租庸調の負担はどれくらい?農民にとっての影響
奈良時代において、農民は国家に対して「租」「庸」「調」の3種類の税を納める義務がありました。この税負担は非常に重く、農民の生活に深刻な影響を与えました。
ここでは、租庸調の負担がどのように農民を苦しめたのか、そしてその結果として社会にどのような問題が生じたのかを詳しく解説します。
農民の生活と税の関係
租(そ)の負担
租は、農地の収穫物に対する税で、主に稲を納めるものでした。
- 税率:収穫した稲の約3%から5%程度を国に納める必要がありました。
- 負担の実態:良い収穫があれば問題ありませんが、凶作や災害時には収穫が減少するため、税を納めることが非常に困難になりました。
庸(よう)の負担
庸は、労働力や布などを納める税です。
- 納めるもの:地方の特産物としての布や、実際に労働(都での労働や土木作業)を提供することが義務づけられていました。
- 負担の実態:都まで赴くためには移動費や食料を自分で準備する必要があり、これが農民にとってさらなる負担となりました。
調(ちょう)の負担
調は、地方の特産物や加工品を納める税です。
- 納めるもの:特産物(織物、漆器、薬草など)を収めることが求められました。
- 負担の実態:特産物がない地域の農民は、代わりに物資を購入して納めなければならず、経済的負担が重くのしかかりました。
税負担が農民の生活に与えた影響
これらの税負担により、農民は次のような問題に直面しました。
生活の圧迫
- 収穫物や労働力を国家に取られるため、自分たちの生活を維持することが難しくなりました。
- 税を納めるために借金をする農民も多く、借金が返せなくなると土地を失うこともありました。
自給自足の崩壊
農民が自分たちの食料を確保するための時間や労力が不足し、生活基盤が崩れることもありました。
税負担が原因で起こった社会問題
税負担が重かったため、奈良時代には以下のような社会問題が発生しました。
農民の逃亡(逃散)
- 重税に耐えられなくなった農民は、田畑を捨てて逃げることが増えました。これを「逃散」(ちょうさん)と言います。
- 特に税の徴収が厳しい地方からは、多くの農民が逃亡しました。
口分田の荒廃
- 農民が逃亡すると、農地が放棄され、口分田(国家が農民に分配した田地)が荒廃しました。
- 国家は口分田から租を徴収することで財政を支えていたため、逃亡者の増加は財政的な打撃となりました。
治安の悪化
逃散(農村から逃亡すること)した農民がほかの村をおそって食料を調達するようになり、治安が悪化しました。これにより、奈良時代の社会は次第に不安定になっていきました。
律令社会への影響
- 奈良時代の重税制度が維持できなくなり、後の平安時代に荘園制度が広がるきっかけとなりました。
- 荘園制度では、地方の有力者が農地を管理し、農民を保護する代わりに税の一部を免除するという形が一般的になりました。
奈良時代の税の練習問題【テスト対策】
租庸調など奈良時代の税について、練習問題を解いて慣れましょう。
(1)地方の特産物を納める税を何といいますか。
(2)九州の警備にあたる税を何といいますか。
(3)防人は何年間務めないといけませんでしたか。
(4)田の収穫物の約3%を納める税を何といいますか。
(5)国衙などで年間60日以下の労役をする税を何といいますか。
(6)【高校生向け】飢饉に備えて国衙の倉庫に備蓄するための食料を納める税を何といいますか。
(7)【高校生向け】調や庸を都に運ぶ税を何といいますか。
(8)【高校生向け】翌年の田植えに向けて、稲を強制的に農民に貸し付けて利息を取り立てる税を何といいますか。
解答
(1)調
(2)防人
(3)3年間
(4)祖
(5)雑徭
(6)義倉
(7)運脚
(8)出挙
なお、口分田の広さを求める計算練習問題を以下の記事に載せています。
口分田の計算問題
奈良時代の租庸調に関するQ&A
Q1: 租庸調とは何ですか?
A1: 奈良時代に農民が国家に納めた3種類の税のことです。
- 租:稲などの収穫物を納める税。
- 庸:布や労働を納める税。
- 調:特産物や加工品を納める税。
Q2: 租の具体的な負担はどれくらいでしたか?
A2: 収穫した稲の約3%〜5%を国家に納める必要がありました。凶作の年でも免除されないため、農民にとって大きな負担でした。
Q3: 庸の負担はどんなものですか?
A3: 地方で生産した布や、都での労働を提供することが求められました。都まで行くための交通費や食料も農民自身が負担する必要がありました。
Q4: 調の納め方はどのように行われましたか?
A4: 地方の特産物(織物や漆器など)を納めました。しかし、特産物がない地域の農民は、代わりに物資を購入して納めるため、経済的負担が大きくなりました。
Q5: 租庸調による農民への影響は何ですか?
A5: 主な影響は次のとおりです:
- 生活が圧迫される:収穫物や労働力が奪われ、生活が困難になりました。
- 借金が増加:税を支払うために借金をする農民が多く、土地を失うケースもありました。
- 逃亡(逃散)の増加:重税に耐えられず、逃亡(逃散)する農民もいました。
Q6: 農民が逃亡するとどんな問題が起こりましたか?
A6: 農民が逃亡すると、以下の問題が発生しました:
- 口分田の荒廃:放棄された農地が荒れ、国家の税収が減少しました。
- 社会の不安定化:逃亡者が増えたことで、地方社会が不安定になりました。
Q7: 租庸調の失敗は後の社会にどのように影響しましたか?
A7: 租庸調の失敗により、国家は税収を安定させることができなくなりました。その結果、平安時代に荘園制度が広がり、有力者が農地を管理することで農民を保護する仕組みが普及しました。
Q8: テストではどんな問題が出題されますか?
A8: テストでは以下のような問題がよく出されます:
- 租庸調の内容や違いを説明する問題
- 租庸調が農民に与えた影響を問う記述問題
- 租庸調が後の荘園制度にどのようにつながったかを説明する問題
Q9: 租庸調が現代とどのようにつながっていますか?
A9: 現代の税制度の原型として租庸調を理解することができます。国家が社会を運営するために税を徴収する仕組みが奈良時代から続いていることを学ぶことが重要です。
まとめ
いかがでしょうか。
中学生・高校生向けに奈良時代の税をまとめて紹介しました。
祖は口分田からの収穫物の約3%、調は布などの特産物、庸は10日間の労役か特産物を納める税です。
税の名称と内容の組み合わせは定期テストや入試でもよく出てきます。何をする税なのかを正確に覚えておくと得点源になります。
また、高校生は口分田の計算も練習しておきましょう。以下の記事でくわしく解説しています。
口分田の計算問題
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