平安時代は794年から1185年まで400年もの長い間つづきました。その間に摂関政治から院政、武家政権へと次々移行していくため、どのような時代だったのかイメージしにくい人も多いかもしれません。
平安時代は年表を中心にみると出来事やその流れをつかみやすくなります。
そこで、平安時代の年表を紹介し、平安時代の出来事・平安時代の中心人物を解説します。
この記事を読めば、平安時代についての理解が進むはずです。
※関連記事:鎌倉時代の年表
平安時代とは?定期テスト・大学入試に向けて全体像をつかもう
平安時代の始まりと終わり
平安時代は、794年に桓武天皇(かんむてんのう)が都を平安京(今の京都)に移したことから始まります。この出来事は「平安京遷都(へいあんきょうせんと)」と呼ばれ、定期テストでも頻出の重要ポイントです。
一方、平安時代の終わりは、鎌倉幕府が成立する直前の1185年ごろ。正確には、源頼朝(みなもとのよりとも)が全国の武士を支配下におさめ、武士政権の時代が始まることで平安時代が終わったとされます。
【覚え方のコツ】
平安時代の始まり → 794年(ナクヨウグイス 平安京)
平安時代の終わり → 1185年(いい箱作ろう 鎌倉幕府)
なぜ平安時代は重要なの?大学受験での出題傾向
大学入試や共通テストで平安時代が重視されるのは、次のような複数の視点で歴史の転換点となる時代だからです。
- 政治の中心が天皇から貴族→上皇→武士へと変化
- 日本独自の文化(国風文化)が誕生
- 中央集権から地方分権へ、政治のしくみが揺らぐ
特に頻出なのは次の3つのテーマです。
項目 | よく出る問題例(大学受験・定期テスト共通) |
---|---|
摂関政治 | 「藤原道長の政治を説明せよ」など記述問題あり |
院政 | 「上皇による政治の背景」など流れの理解が重要 |
武士の台頭 | 平治の乱→平清盛→平氏政権の流れの整理問題 |
また、「文学・文化史」も差がつきやすい分野で、『源氏物語』『枕草子』などの作品名・作者・背景を聞かれることも多く、文系志望者には要注意ポイントです。
平安時代の特徴3つ(貴族文化・政治の移り変わり・武士の台頭)
貴族文化の発展|日本独自の「国風文化」
平安時代は、中国の影響から離れて、日本らしい文化=国風文化が発展した時代です。
- かな文字(ひらがな・カタカナ)の使用が広がる
- 女性による文学作品が花開く
- 『源氏物語』(紫式部)
- 『枕草子』(清少納言)
- 建築様式や絵画でも、日本独自のスタイル(寝殿造・大和絵など)
【定期テストで狙われやすい】
「国風文化とはなにか、具体例を挙げて説明しなさい」
政治の移り変わり|天皇→摂関→上皇
平安時代は、政治の実権をにぎる存在が時代とともに変化したことが大きな特徴です。
- 【前期】桓武天皇による政治改革(律令政治の立て直し)
- 【中期】藤原氏による摂関政治(特に藤原道長・頼通)
- 【後期】天皇が出家し上皇として政治を行う「院政」開始(白河上皇)
- 平氏が力を持ち始め、政治の中心が武士へ…
この流れは、記述問題で問われることが非常に多いです。
【差がつくポイント】
「摂関政治と院政のちがい」を説明できると高得点につながる
武士の台頭|中央から地方へ政治の中心が移る
平安時代の後半、中央の政治が弱くなったことで、地方では武士が力を持つようになります。
- 各地に武士団が登場
- 保元の乱・平治の乱などの武士同士の戦いが起きる
- 最終的に平清盛が権力を握り、平氏政権が誕生
- しかし源頼朝によって平氏が滅ぼされ、鎌倉幕府の時代へ
【大学受験で頻出!】
「なぜ武士が政治をにぎるようになったのか」を因果関係で説明できるかがカギ。
平安時代の年表
794年(延暦13年) | 桓武天皇 | 桓武天皇が平安京に遷都 |
797年(延暦16年) | ・勘解由使が設置される ※勘解由使…国司などの官吏が交代するときに引き継ぎ状況を監視・評価する役人 ・坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命される | |
804年(延暦23年) | 空海と最澄が遣唐使船に乗って唐に派遣される | |
805年(延暦24年) | ・最澄が帰国する ・最澄が高尾山寺で灌頂を行う | |
806年(大同1年) | 平城天皇 | ・桓武天皇、崩御 ・平城天皇、即位 ・空海が帰国する ・最澄が天台宗を開く |
809年(大同4年) | 嵯峨天皇 | ・平城天皇が譲位、上皇となる ・嵯峨天皇、即位 |
810年(大同5年・ 弘仁元年) | 薬子の変(平城上皇の乱)が起こる | |
815年(弘仁6年) | 検非違使が設置される ※検非違使…京都の治安維持を担当する、今の裁判官と警察官を合わせた役職 | |
816年(弘仁7年) | 空海に高野山が下賜される | |
819年(弘仁10年) | 空海が高野山に金剛峯寺を建立する | |
820年(弘仁11年) | 弘仁格式が制定される | |
823年(弘仁14年) | 淳和天皇 | ・空海が東寺を下賜され、教王護国寺と称する ・嵯峨天皇が譲位 ・淳和天皇が即位 |
827年(天長4年) | 空海が大僧都に任じられる | |
830年(天長7年) | 薬師寺の最勝会が始まる | |
833年(天長10年) | 仁明天皇 | ・令義解が完成する ※令義解…淳和天皇の勅令で作成された律令の解説書 ・淳和天皇が譲位 ・仁明天皇が即位 |
834年(承和1年) | 藤原常嗣が遣唐大使、小野篁が遣唐副使に任命される | |
836年(承和3年) | 遣唐使船が出航、遭難し漂着(1度目) | |
837年(承和4年) | 遣唐使船が出航、遭難し漂着(2度目) | |
838年(承和5年) | ・遣唐使船が出航、遭難し漂着(3度目) ・小野篁が乗船拒否して罪に問われ配流される | |
841年(承和8年) | 伊豆地震発生 | |
842年(承和9年) | 承和の変が起こる(橘逸勢が配流、恒貞皇太子が廃太子) | |
850年(嘉祥3年) | 文徳天皇 | ・仁明天皇が崩御 ・文徳天皇が即位 |
854年(斉衡1年) | 円仁が天台座主となる | |
857年(天安1年) | 藤原良房が太政大臣に任命される | |
858年(天安2年) | 清和天皇 | ・文徳天皇が崩御 ・清和天皇が即位 (藤原良房が事実上の摂政になる) |
864~866年(貞観6~8年) | 富士山の大規模噴火(貞観噴火) | |
866年(貞観8年) | ・応天門の変が起こる (大納言伴善男が伊豆に配流) ・藤原良房が正式に摂政になる(臣下として初の摂政) | |
869年(貞観11年) | ・陸奥で大地震起こり(貞観三陸沖地震)、多賀城崩壊がする ・続日本後紀が撰上される ・貞観格が施行される | |
876年(貞観18年) | ・清和天皇が譲位 ・藤原基経が摂政に任じられる | |
877年(元慶1年) | 陽成天皇 | ・陽成天皇が即位 ・藤原基経が太政大臣に任じられる |
884年(元慶8年) | 光孝天皇 | ・陽成天皇が譲位 ・光孝天皇が即位 ・藤原基経が関白に任ぜられる(関白のはじめ) |
887年(仁和3年) | 宇多天皇 | ・仁和地震が起こる ・光孝天皇が崩御 ・宇多天皇が即位 |
888年(仁和4年) | 阿衡の紛議が起こる ※阿衡の紛議…宇多天皇の勅書に書かれた「阿衡」に対して藤原基経が抗議し、勅書を撤回させる | |
889年(寛平1年) | 高望王らに平朝臣姓が賜われる | |
894年(寛平6年) | ・菅原道真が遣唐大使に任命される ・菅原道真が遣唐使中止を建議し、中止に決定される (結果的に遣唐使廃止となる) | |
897年(寛平9年) | 醍醐天皇 | ・宇多天皇が譲位 ・醍醐天皇が即位 |
899年(昌泰2年) | 藤原時平が左大臣、菅原道真が右大臣に任命される | |
901年(延喜1年) | ・昌泰の変が起こり、菅原道真は大宰府に左遷される ・「日本三代実録」が完成する | |
902年(延喜2年) | 延喜の荘園整理令(違法な荘園の停止) | |
905年(延喜5年) | 紀貫之らが「古今和歌集」を撰上する | |
908年(延喜8年) | 延喜格式が施行される | |
930年(延長8年) | 朱雀天皇 | ・醍醐天皇が崩御 ・藤原忠平が摂政に任命される ・朱雀天皇が即位 |
938年(天慶1年) | 京で大地震がおこる | |
939年(天慶2年) | ・平将門の乱がおこる ・藤原純友の乱がおこる | |
940年(天慶3年) | 藤原秀郷、平貞盛が平将門を討つ | |
941年(天慶4年) | 橘遠保が藤原純友を討つ | |
946年(天暦1年) | 村上天皇 | ・朱雀天皇が譲位 ・村上天皇が即位 |
960年(天徳4年) | 内裏が焼け落ちる | |
967年(康保4年) | 冷泉天皇 | ・村上天皇が崩御 ・冷泉天皇が即位 ・延喜式が施行される |
969年(安和2年) | 円融天皇 | ・安和の変が起こり、源高明、藤原千晴が配流される ・冷泉天皇が譲位 ・円融天皇が即位 |
976年(貞元1年) | 山城、近江で大地震が起こる | |
984年(永観2年) | 花山天皇 | ・円融天皇が譲位 ・花山天皇が即位 |
985年(寛和1年) | 源信が「往生要集」を著す | |
986年(寛和2年) | 一条天皇 | ・花山天皇が譲位 ・一条天皇が即位 |
995年(長徳1年) | 藤原道長が内覧の宣旨を受ける | |
1000年(長保2年) | 藤原定子が皇后、彰子が中宮になる | |
1001年(長保3年) | この頃、清少納言が「枕草子」を著す | |
1007年(寛弘4年) | この頃、紫式部が「源氏物語」 | |
1011年(寛弘8年) | 三条天皇 | ・一条天皇が譲位 ・三条天皇が即位 |
1016年(長和5年) | 後一条天皇 | ・三条天皇が譲位 ・後一条天皇が即位 ・藤原道長が摂政となる |
1017年(寛仁1年) | ・藤原道長が太政大臣になる ・藤原頼道が摂政になる | |
1019年(寛仁3年) | ・刀伊の入寇(刀伊が壱岐島、筑前を襲う) ・藤原頼通が関白になる | |
1028年(長元1年) | 平忠常が下総で反乱をおこす | |
1036年(長暦1年) | 後朱雀天皇 | ・後一条天皇が譲位 ・後朱雀天皇が即位 |
1038年(長暦3年) | 延暦寺僧徒が強訴をする | |
1045年(寛徳2年) | 後冷泉天皇 | ・後朱雀天皇が譲位 ・後冷泉天皇が即位 ・寛徳の荘園整理令 |
1051年(永承6年) | 前九年の役がはじまる (安倍頼時が陸奥で反乱をおこし、源頼義が討伐に向かう) | |
1053年(天喜1年) | 藤原頼通が平等院鳳凰堂を建立する | |
1062年(康平5年) | 前九年の役が終わる (源頼義が清原武則の支援を受けて安倍貞任・宗任を破る) | |
1063年(康平6年) | 源頼義が鎌倉に八幡宮を立てる | |
1068年(治暦1年) | 後三条天皇 | ・後冷泉天皇が譲位 ・後三条天皇が即位 |
1069年(延久1年) | 延久の荘園整理令 | |
1072年(延久4年) | 白河天皇 | ・後三条天皇が譲位 ・白河天皇が即位 |
1076年(承保2年) | 白河天皇が法勝寺を建立する | |
1083年(永保3年) | 後三年の役がはじまる (奥州で藤原家衡と藤原清衡が争う) | |
1086年(応徳3年) | 堀河天皇 | ・白河天皇が譲位 ・堀河天皇が即位 ・白河上皇が院政をはじめる(院政のはじまり) |
1095年(嘉保2年) | 院に北面の武士を置く(平正盛ら) | |
1099年(承徳3年) | 南海地震がおこる | |
1107年(嘉承2年) | 鳥羽天皇 | ・堀河天皇が譲位 ・鳥羽天皇が即位 |
1108年(天仁1年) | 延暦寺僧兵が強訴を行うも、源平両氏が阻止 | |
1113年(永久1年) | 興福寺と延暦寺(南都北嶺)の僧兵が強訴を行うも、平忠盛が阻止 | |
1123年(保安4年) | 崇徳天皇 | ・鳥羽天皇が譲位 ・崇徳天皇が即位 ・延暦寺僧兵が入京を企てるも平忠盛と源為義が阻止 |
1126年(大治2年) | 藤原清衡が中尊寺金色堂を完成させる | |
1132年(長承1年) | 平忠盛が昇殿を許される(源氏に対して平氏が有利な立場になる) | |
1141年(永治1年) | 近衛天皇 | ・崇徳天皇が譲位(鳥羽上皇の命による) ・近衛天皇が即位 |
1155年(久寿2年) | 後白河天皇 | ・近衛天皇が崩御 ・後白河天皇が即位 |
1156年(保元1年) | 保元の乱がおこる (後白河天皇と崇徳上皇が対立。平清盛・源義朝らの軍勢によって崇徳上皇が敗れ、崇徳上皇は讃岐に配流) | |
1158年(保元3年) | 二条天皇 | ・後白河天皇が譲位 ・二条天皇が即位 |
1159年(平治1年) | 平治の乱がおこる (源義朝・藤原信頼が平清盛に敗れる) | |
1160年(永暦1年) | ・源義朝が尾張で殺され、子の頼朝は伊豆に配流 ・平清盛が正三位に昇る | |
1165年(永万1年) | 六条天皇 | ・二条天皇が譲位 ・六条天皇が即位 |
1167年(仁安2年) | 平清盛が太政大臣に任命される(武家としてはじめて) | |
1168年(仁安3年) | 高倉天皇 | ・六条天皇が崩御 ・高倉天皇が即位 |
1175年(安元1年) | この頃、法然が浄土宗を開く | |
1177年(安元3年) | ・安元の大火がおこる(平安京の3分の1が焼失、内裏も一部が焼亡) ・鹿ケ谷事件がおこる(藤原成親らが平氏討伐計画をたてるも露見して失敗) | |
1178年(治承2年) | 治承の大火がおこる | |
1179年(治承3年) | 治承三年の政変がおこる (平清盛が後白河法皇を幽閉する) | |
1180年(治承4年) | 安徳天皇 | ・高倉天皇が崩御 ・安徳天皇が即位 ・以仁王が平氏追討の令旨を出す ・伊豆の源頼朝が呼応して挙兵する(治承・寿永の乱のはじまり) ・平重衡が興福寺、東大寺など南都大寺を焼き討ちする(南都焼き討ち) |
1181年(養和1年) | ・平清盛が没する ・養和の大飢饉(京都で多数の餓死者が出る) | |
1183年(寿永2年) | 後鳥羽天皇 | ・源義仲が入京する ・後鳥羽天皇が即位 |
1184年(寿永3年) | ・源範頼・義経が宇治川の戦いで源義仲を破り入京する ・源義仲、近江国で討ち死にする | |
1185年(文治1年) | ・壇ノ浦の戦いで平氏が滅亡する ・源頼朝が諸国に守護・地頭を設置し兵糧米を徴収する権利を朝廷に求めてもらう |
平安時代の流れを解説
平安時代(794年 – 1185年)は、日本の歴史において、政治的な安定と文化の発展が同時に進んだ重要な時代です。この時代には様々な出来事があり、それらが日本の歴史に深い影響を与えました。
なお、内容は山川日本史探求教科書をもとにしています。

詳説日本史 日本史探究 【日探705】 山川出版社81 文部科学省検定済教科書 高等学校地理歴史科用 高校教科書 歴史 高校生
都の遷都と桓武天皇
平安時代の始まりは桓武天皇による都の遷都でした。
都は平城京から平安京へと遷都され、政治・文化の中心が変わりました。桓武天皇はこの時代を築き上げる重要な存在で、都の移転は日本の歴史における新たな時代の始まりを象徴しています。
貴族社会の栄華
平安時代初期は貴族社会が栄え、貴族たちは詩歌や音楽などの文化活動に力を入れました。また、平安京の都市計画や建築なども進み、都市文化が花開きました。
宇多天皇や白河天皇の治世には、貴族文化が際立ちました。
天皇と藤原氏の主導権争い
平安時代における天皇と藤原氏の主導権争いは、日本の歴史において重要な政治的な軋轢の一環とされています。
主に平安時代初期から中期にかけて、朝廷の中心的な役割を巡って天皇家と藤原氏との関係が複雑に絡み合いました。
天皇家の権威と影響力
平安時代初期において、天皇家は名目上の政治的権威を持っていましたが、実際の政務は貴族たちによって運営されていました。
この時期、天皇は神聖視されつつも、政治の実権は特に藤原氏などの有力な貴族層に握られていました。
藤原氏の隆盛と摂関政治
藤原氏は平安時代初期から中期にかけて政治的に台頭し、中でも摂関政治を確立しました。
摂関は、天皇の側近としての地位を持ち、実質的に政治を牛耳る存在でした。藤原氏は数世代にわたって摂関家を輩出し、その中から摂政や関白を任命して政権を掌握しました。
天皇家と藤原氏の対立
一方で、時折、天皇家と藤原氏との間には対立が生じました。
天皇自身やその一族が政治の主導権を取り戻そうとする試みや、摂関家の中でも藤原道長などの有力者との間で権力闘争が繰り広げられました。
これらの対立が時折激しさを増し、政治の舞台裏には複雑な人間関係が絡んでいました。
対立の激化と源平の争乱への影響
平安時代中期以降になると、政治的な対立が激化し、源平の争乱(保元・平治の乱、治承・寿永の乱)の背景にもこのような対立が影響を与えました。
天皇と藤原摂関家の主導権争いに上皇が加わり、乱の勃発につながったとされています。
このように、平安時代における天皇家や藤原氏との主導権争いは、時折激しいものとなり、その影響が後の武士社会の形成や源平の争乱にも及びました。
天慶の争乱で武家が台頭
武家が朝廷内で立場を高める大きなきっかけになったのは天慶の争乱(平将門の乱、藤原純友の乱)です。
東国と西国での同時多発の反乱により朝廷は大混乱に陥ります。
この争乱を鎮めた源平両家が朝廷や地方で勢力を伸ばすことになりました。
保元・平治の乱
保元の乱(ほうげんのらん)と平治の乱(へいじのらん)は、いずれも平安時代末期に起こった日本の武士や政治勢力の対立に関連する武士の戦闘です。
保元の乱の背景
平安時代末期において、院政期と呼ばれる政治体制が確立していました。
しかし、鳥羽法皇とその支持者たちと、それに対抗する崇徳上皇と摂関家との対立が激しくなり、鳥羽法皇崩御後に権力争いが発生しました。
保元の乱の経緯
保元の乱では、崇徳上皇と後白河天皇が対立。
後白河天皇方の源義朝と平清盛が夜襲をしかけ、わずか1日で乱を鎮圧しました。
これにより、源義朝と平清盛が台頭しました。
平治の乱の背景
保元の乱の後、後白河上皇の近臣が対立しました。それぞれの勢力が源氏と平氏を陣営に引き入れ、争いました。
この頃、平清盛は源義朝の動向を警戒し、対立が激化していきました。
平治の乱の経緯
平治の乱では、平家と源氏との激しい戦闘が繰り広げられました。
最終的に平家が勝利し、源義朝は自害に追い込まれました。
これにより平家の勢力は一層拡大し、武家政権の基盤を築くこととなりました。
源平の争乱
平安時代末期には、源平の争乱が勃発しました。
治承・寿永の乱(源平の合戦)は、武士を主役とした大規模な戦乱であり、平清盛一門による権力独占への反発が原因でした。
起源と背景
平治の乱で源氏に勝った平清盛は、自身の一門や支持する有力貴族で官職を独占していました。
源平の争乱の発端は、そうした平清盛一門に対する皇族・武家の反発にあります。
以仁王の挙兵
安徳天皇の即位によって以仁王の皇位継承は絶望的となります。
反発した以仁王は「以仁王の令旨」を出して源氏に平氏打倒の挙兵を促します。
それに源頼政が呼応しますが、反乱計画はもれて早期に鎮圧されます。
各地で蜂起
以仁王と源頼政の挙兵が失敗しても、各地で平家に対する反乱がおこります。
なかでも大規模なものだったのが木曽の義仲と伊豆の頼朝でした。
平氏も大軍を差し向けて反乱を鎮めようとしますが飢饉も重なり、大敗。源義仲が京都の平家を追い落とすことに成功します。
平家は安徳天皇と三種の神器とともに西国へと逃亡します。
源義仲と源頼朝の争い
平家逃亡後の京都に先に入ったのは源義仲でした。
義仲と頼朝は同じ源氏でしたが権力争いをし、頼朝が勝ちます。
源義経により平氏滅亡
源義仲をほろぼした源頼朝はつづいて平家打倒の軍を西に向かわせます。軍の一端を率いていたのは弟の源義経でした。
源義経は兄・頼朝の起用にこたえ、壇ノ浦の戦いで平家を滅亡においやります。
奥州の平定
源平の争乱後も源頼朝は勢力を拡大します。
奥州藤原氏との戦い(奥州平泉合戦)と守護・地頭の設置を経て、鎌倉幕府の基盤を固めました。
源平の争乱によって武士社会の中心が鎌倉に移り、鎌倉時代が幕を開けました。
源平の争乱は、その激しい合戦や武士の階級社会の形成といった側面からだけでなく、後の武士道や日本の封建制度の基盤を築く上で重要な出来事でした。
平安時代の文学と仏教の栄華
平安時代は文学の栄華の時期でもあります。『源氏物語』や『平家物語』など、数々の優れた文学作品が生まれました。また、仏教も栄え、法然や空海などが活躍し、仏教文化が発展しました。
定期テストによく出る!平安時代の重要語句・人物まとめ
人物で覚える!藤原道長・藤原頼通・白河上皇・平清盛
人物名 | 特徴・役割 | キーワード |
---|---|---|
藤原道長 | 摂関政治の全盛期を築いた人物。「この世をば…」の和歌が有名。 | 摂政、藤原氏の絶頂期 |
藤原頼通 | 道長の子。**平等院鳳凰堂(ほうおうどう)**を建立。文化政策にも力を注ぐ。 | 関白、国風文化 |
白河上皇 | 院政を始めた上皇。天皇ではなく「上皇」として政治を行う。 | 院政、院近臣 |
平清盛 | 武士として初めて政治の実権を握り、「日宋貿易」も進めた。 | 武士政権、太政大臣、平氏政権 |
【定期テストでよく出る】
「○○を行った人物は?」という選択肢問題や、「この人物の役割を説明しなさい」といった記述問題
キーワードで整理!摂関政治・荘園・国風文化・院政・保元の乱・平治の乱
用語 | 意味・重要ポイント |
---|---|
摂関政治 | 摂政や関白が、天皇に代わって政治を行う体制(藤原氏が実権を握る) |
荘園 | 貴族や寺社が持った税を免除された私有地。中央の力が弱くなった証拠 |
国風文化 | 日本独自の文化。かな文字・大和絵・女流文学が発展 |
院政 | 天皇が上皇として政治を動かす仕組み。白河上皇が始めた |
保元の乱(1156年) | 皇位継承争い。後白河天皇側の勝利=源氏と平氏が登場 |
平治の乱(1159年) | 源氏と平氏の戦い。平清盛が勝利→平氏政権が成立へ |
【ポイント】
それぞれがどう時代の流れを変えたか、背景と結果を覚えることで記述にも強くなります!
※なお、荘園について以下の記事で詳しく解説しています。
【高校日本史】平安時代の荘園の仕組みとは?入試・定期テストで差がつくわかりやすい解説!
定期テストの選択問題・記述対策ポイント
- 時代の流れを意識する
- 例:「摂関政治→院政→武士政権」という大きな流れを説明できるか
- 因果関係を押さえる
- 「なぜ院政が始まったのか?→藤原氏の力が弱まり、天皇が実権を取り戻すため」
- 語句を使って短文を書く練習をする
- 例:「荘園が増えたことで、朝廷の税収が減り、地方の支配力が弱まった」
大学入試対策|平安時代で差がつく頻出テーマ3選
摂関政治と院政のちがいを説明できるか?
比較項目 | 摂関政治 | 院政 |
---|---|---|
支配者 | 藤原氏(摂政・関白) | 上皇(元天皇) |
方法 | 天皇が幼少の時は摂政、成人後は関白が補佐 | 天皇を譲った上で、裏から政治を動かす |
背景 | 藤原氏が外戚として勢力を持つ | 藤原氏に対抗するため、天皇家側の反撃 |
【出題例】
「摂関政治と院政の違いを説明しなさい(記述)」など、違いと目的を比較する力が問われる。
文章記述対策:因果関係を説明する例文
摂関政治は、藤原氏が天皇の外戚(母方の親族)として、天皇を補佐する形で権力を握った政治体制である。
一方、院政は、天皇が位を譲った後も上皇として政治に関与し、藤原氏の力を抑えようとした仕組みである。
国風文化とその代表作品を整理しよう
項目 | 内容 |
---|---|
特徴 | 中国文化の影響から離れ、日本独自の文化が発展 |
文学 | 『源氏物語』(紫式部)、『枕草子』(清少納言)などの女流文学 |
文字 | かな文字(ひらがな・カタカナ)が使われるようになり、文学が広まった |
建築・絵画 | 寝殿造、和様、大和絵など |
紫式部・清少納言・かな文字の重要性
- 紫式部:『源氏物語』の作者。恋愛・貴族社会を描いた世界最古の長編小説。
- 清少納言:『枕草子』の作者。宮廷生活をユーモラスに描写。
- かな文字:女性や貴族が使いやすく、文学の発展に大きく貢献。
【記述対策】
「国風文化の特徴を、文学・文字に注目して説明せよ」という出題もあり。
※なお、国風文化について以下の記事で詳しく解説しています。
国風文化の特徴を解説|高校生向けの日本史テスト対策完全ガイド(一問一答問題つき)
地方政治の崩壊と武士の成長の背景を理解する
地方政治の崩壊の原因
- 荘園が増えすぎて国の税収が減る
- 中央政府が地方を直接統治できなくなる
- 地方で独自に治安を守る武士団が登場
武士の成長の流れ
- 地方で力を持ち始めた武士が武装化
- 保元の乱・平治の乱を経て、平清盛が太政大臣に就任
- 貴族に代わって武士が政権を握る土台が整う(→鎌倉幕府へ)
【記述対策のコツ】
「なぜ武士が政治の中心になったのか」を、経済面(荘園)、政治面(地方統治の弱体化)から説明できるようにしておく。
平安時代を学べる本
最後に、平安時代についてもっと知りたい方向けにおすすめの本を3冊紹介します。
『すべては姿かたちにあらわれる! 日本の歴史 生活図鑑 ビジュアルブック』
古代から平安時代までの生活の様子をイラストや写真で紹介してくれる図鑑です。
十二単はもちろん、住居や生活習慣、食事も紹介してくれており、当時の雰囲気をビジュアルで感じ取れます。
子ども向けの図鑑ですが、大人がみても勉強になり楽しいです。

すべては姿かたちにあらわれる! 日本の歴史 生活図鑑 ビジュアルブック
出版社:東京書店
『語りたくなる紫式部 平安宮廷の表と裏』
つづいては平安時代の宮廷における女官や貴族たちの生活に焦点を当てた本です。
紫式部の人物ドラマを中心に清少納言や藤原道長などの有名人物も登場し、現代のテレビドラマさながらの人間ドラマを紹介してくれています。
特に面白いのが現代の私たちの視点との比較です。
宮廷での権力争いに恋愛事情(紫式部と藤原道長など)をからませ、はるか昔の古代の出来事なのに現代の私たちにも共感できる人間関係事情を楽しめます。

語りたくなる紫式部 平安宮廷の表と裏
出版社:主婦と生活社
『地図でスッと頭に入る平安時代』
最後に紹介するのは「地図でスッと入る」シリーズの平安時代編です。
平安時代の権力争いや争乱(貴族間の争いから武家政権への移行)を、
いつ・どこで・誰が・何をしたかを解説してくれています。
平城京から平安京になぜ遷都したのか、平安京周辺の地理的特徴は何だったのかなども。
歴史は地図とセットで見ると非常に分かりやすいですよね。

地図でスッと頭に入る平安時代
出版社:昭文社
まとめ
いかがでしょうか。
平安時代は日本の歴史において文化が栄えた時期でありながらも、社会構造の変化や武士の興隆など、重要な変遷が見られる時代でもあります。
年表からも権力者の興亡が見て取れます。
藤原氏による摂関政治から上皇による院政へと政治の実権が移り、さらに武家へと移っていく時代でした。
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