平安時代は日本史のテストで頻出のテーマです。特に初期に活躍した「桓武天皇」「嵯峨天皇」「空海」「最澄」などの人物は、政治・文化・宗教に大きな影響を与えました。
この記事では、それぞれの役割や業績をわかりやすく解説し、高校日本史のテストでよく出るポイントをまとめました!一問一答問題も用意しています。
歴史総合や日本史探求の定期テスト対策、大学入試対策などにご活用ください!
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桓武天皇の改革とその影響
平安時代は794年から1185年までです。その最初の天皇は桓武天皇でした。
桓武天皇が行った政治改革について解説します。
平安京への遷都とその目的
桓武天皇は784年に平城京から長岡京へと遷都し、さらに794年に平安京に遷都しました。その経緯を解説します。
平安京遷都の背景(長岡京から平安京へ)
桓武天皇は、784年に長岡京に遷都しましたが、短期間で平安京への再遷都(794年)を決断しました。
長岡京では疫病や災害が相次ぎ、建設責任者である藤原種継の暗殺など政治的混乱が続いたため、新たな都を築く必要性が高まりました。
平安京は山城国に位置し、自然災害が少なく防衛上も優れており、政治の安定を目指す拠点として選ばれました。
軍事・政治改革の狙い
平安京遷都は単なる地理的移動ではなく、桓武天皇が目指した政治・軍事の改革の一環でした。
桓武天皇は地方の豪族による権力の肥大化を抑え、中央集権体制を強化するために、律令制を再建する政策を打ち出しました。
また、都の移転によって新たな出発を象徴し、政治的威信を高める目的もありました。特に、唐など外国からの国防の強化や地方行政の効率化が大きなテーマとなりました。
坂上田村麻呂による蝦夷征討
遷都と同時期に、桓武天皇は東北地方の蝦夷討伐を推進しました。
坂上田村麻呂は征夷大将軍として蝦夷討伐にあたり、胆沢城の築城や東北経営を進めました。この軍事行動は律令国家の版図を広げると同時に、朝廷の威信を国内外に示す重要な役割を果たしました。
桓武天皇の税制改革と地方政治
遷都後、桓武天皇はいくつかの改革を実行しています。その背景には班田収授がうまく機能しなくなってきたことが挙げられます。
班田収授法の実施状況
桓武天皇の時代には、律令制に基づく班田収授法の運用が徐々に困難になっていました。
班田収授法とは、6年ごとに農地を農民に班給する制度ですが、人口の増加や戸籍管理の不備、地方の豪族による土地の私有化が進む中で、制度の維持が難しくなりました。
このため、桓武天皇は中央政府の権限を強化し、地方政治の立て直しに努めました。
勘解由使の設置と意義
地方行政の改革として桓武天皇が導入したのが勘解由使です。地方官の交代時に行政文書を審査する官職で、地方官による不正を防止し、政務の引き継ぎを円滑にする役割を担いました。
この制度は律令制の維持に一定の成果をもたらしましたが、中央と地方の溝を埋めるには限界がありました。それでも、中央集権化の努力の象徴といえます。
嵯峨天皇と弘仁格式の編纂
桓武天皇の後を継いだのは、皇子だった嵯峨天皇です。嵯峨天皇もくずれゆく律令体制を整備するため、弘仁格式を編纂しました。
嵯峨天皇の政治と文化
嵯峨天皇による律令政治の再建
嵯峨天皇は、桓武天皇が進めた改革を引き継ぎつつ、律令制度の再建に取り組みました。特に、財政難を克服するために課税の見直しや徴税の強化を進めました。
また、地方豪族への統制を強化する一方で、文化の発展にも力を注ぎました。嵯峨天皇は詩文や書道にも優れ、三筆のひとりに数えられ提案す。
平安時代初期の文化的繁栄の基礎を築いたことで知られています。
【三筆】
空海
嵯峨天皇
橘逸勢(はやなり)
弘仁格式の整備とその役割
嵯峨天皇の時代には、律令制を補完する形で弘仁格式が整備されました。
格式とは律令の細則や施行規定を定めたもので、律令の運用を現実に即して調整する役割を果たしました。
弘仁格式の整備は、律令制度を形骸化させないための重要な取り組みでした。これにより、法体系の柔軟性が向上し、政治の安定に寄与しました。
【格式】
格:律令(法令集)を社会の変化に合わせて修正・加筆したもの
式:格の施行細則
嵯峨天皇と空海の関係
平安時代初期、唐から空海が真言宗を持ち帰って日本に広めました。嵯峨天皇は空海を仏教界の重鎮に据えました。
嵯峨天皇が空海を重用した背景
嵯峨天皇は、宗教政策の一環として空海を重用しました。
当時の朝廷は、仏教を国家の安定と発展の柱として活用しようとしており、特に空海が持ち帰った真言密教は、天皇や貴族の権威を高める力があると考えられていました。
空海の学識や人格が嵯峨天皇に高く評価され、宮中での活動が奨励されました。
空海がもたらした密教の影響
空海が伝えた密教は、仏教の実践的な要素を強調し、国家鎮護のための儀式や祈祷を重視しました。密教の普及により、仏教が民衆から貴族まで広く浸透し、国家宗教としての役割が強化されました。
これにより、宗教と政治の結びつきが一層強まりました。
空海と最澄が築いた平安仏教
平安時代初期には、空海と最澄がそれぞれ新たな仏教宗派を唐から持ち帰りました。どちらも日本史のテストによく出てくるポイントです。
最澄と天台宗の成立
最澄の唐への留学と成果
最澄は804年、唐に渡り、当時の最新仏教である天台宗を学びました。
最澄は天台教学を日本に伝えるだけでなく、禅や密教なども学び、包括的な仏教の発展を目指しました。
唐から帰国後、比叡山に延暦寺を建立し、天台宗の本拠地として活動を展開しました。この寺院は日本仏教の中心地となり、後の多くの宗派に影響を与える基盤を築きました。
比叡山延暦寺の開設と天台宗の特徴
比叡山延暦寺は、仏教の学問と修行の拠点として重要な役割を果たしました。天台宗の教えは、「法華経」を中心に据え、あらゆる人々が悟りを開ける可能性を説きました。
また、修行には戒律、禅、念仏、密教の要素が含まれており、総合的な仏教実践を特徴としています。この柔軟性が天台宗を広く受け入れられる要因となりました。
最澄と南都六宗の対立
最澄は唐からの帰国後、桓武天皇の信頼を得て天台宗を広めました。この動きに奈良の仏教勢力である南都六宗が猛反発し、両者は対立関係になりました。
桓武天皇の死後、後ろ盾を失った最澄の勢威は陰り、南都六宗からも強く責め立てられます。その結果、最澄は天台宗の教義を発展させることに努めるようになりました。
この動きが最澄の死後、円仁や円珍などの弟子によって天台宗が発展していくきっかけになりました。
空海と真言宗の普及
空海は唐より真言宗を持ち帰り、嵯峨天皇のバックアップを受けました。
空海の留学と密教の導入
空海も804年に唐へ留学し、密教を学びました。彼は長安で師である恵果から真言密教の奥義を伝授され、これを日本に持ち帰りました。
帰国後、密教の教えを体系化し、儀式や修法を通じて仏教の新しい側面を日本に広めました。
高野山金剛峯寺の開設
空海は816年、高野山を修行の地として開く許可を嵯峨天皇から得て、金剛峯寺を建立しました。
この寺院は真言密教の中心地として発展し、多くの僧侶が修行に励む場所となりました。また、修法や儀式は国家の安定や貴族社会の精神的支柱として重視されました。
真言宗が与えた平安仏教への影響
真言宗の教えは、仏の本質を象徴的に表現する曼荼羅や、言葉の力を重視する真言の実践を通じて、従来の仏教とは異なる体験型の信仰を提供しました。
この密教の要素は、平安時代の貴族文化に深く根付き、宗教と芸術の融合をもたらしました。
なお、空海は最澄とは異なり南都六宗とも比較的友好関係を築きました。この点を押さえておくと、
「最澄・桓武天皇と南都六宗」
「空海・嵯峨天皇と南都六宗」
のセットを覚えやすくなるでしょう。
高校日本史のテストによく出るポイントまとめ
テストによく出るポイントを以下にまとめました。しっかり覚えて、テストで点をかせぎましょう!
大学別曹の一覧
大学で学ぶ一族の子弟向けの寄宿舎を大学別曹といいます。大学別曹の名称と氏族を以下の表にまとめています。
和気氏 | 弘文院 |
藤原氏 | 勧学院 |
在原氏 | 奨学院 |
橘氏 | 学館院 |
天台宗と真言宗のまとめ
平安時代初期、奈良の南都六宗に対して新たな宗教として天台宗と真言宗が起こり、朝廷の保護を受けました。
それぞれの開祖、本山などをまとめています。
天台宗 | 真言宗 | |
開祖 | 最澄 | 空海 |
本山 | 比叡山延暦寺 | 高野山金剛峰寺 |
著作 | 顕戒論 | 三教指帰(さんごうしいき) |
密教 | 台密 | 東密 |
特色 | 弟子の円仁・円珍によって密教化 | 加持祈祷による現世利益の追求 |
令外官のまとめ
大宝律令の施行以降に設置された官職を令外官と呼びます。桓武天皇、嵯峨天皇のころに重要な令外官がいくつかつくられました。以下の表にまとめています。
官職名 | 役割 | |
桓武天皇 | 勘解由使 | 国司交代時の監督 |
嵯峨天皇 | 蔵人頭 | 天皇の側近として機密事項を扱う |
検非違使 | 京の警察・裁判 |
高校日本史の問題:桓武天皇・嵯峨天皇と弘仁貞観格式
(1)784年、桓武天皇は平城京から何という都に遷都しましたか。
(2)長岡京造営中に責任者が暗殺される事件が起こりました。暗殺された人物は誰ですか。
(3)藤原種継の暗殺事件に関係しているとして桓武天皇の弟が拘留され、自害しました。誰ですか。
(4)794年長岡京から平安京に遷都されました。これは誰の建議によるものですか。
(5)平城京から平安京への遷都は何を目的としたものでしたか。
(6)桓武天皇は蝦夷討伐のために誰を征夷大将軍に任命しましたか。
(7)坂上田村麻呂はそれまで東北の鎮守府を(①)に置いていたのを、(②)に移しました。①②に当てはまる城の名称を答えてください。
(8)蝦夷討伐は811年に行われた遠征で完了しました。このときに征夷大将軍に任命された人物は誰ですか。
(9)農民の負担を減らすため、辺境地をのぞいて軍団・兵士が廃止され、代わりに郡司の子弟らによる国衙守備兵が組織されました。この新たな徴兵制を何といいますか。
(10)農民の負担を減らすため、①雑徭の期間が何日に短縮されました。また、農民に強制的に稲を貸し付ける(②)の利率も軽減されました。①②に答えてください。
(11)国司の交代時に監督を強化するために置かれた官職は何ですか。
(12)平城太上天皇は嵯峨天皇から政治の実権を奪う計画を側近と立てましたが、露見して失敗しました。この事件を何といいますか。
(13)平城太上天皇の変で、平城太上天皇とともに謀った側近の兄妹を答えてください。
(14)大宝律令以降に新設された官職を何といいますか。
(15)嵯峨天皇が設置した、天皇のそば近くで宮中の事務や機密事項を扱う役所を何といいますか。
(16)蔵人所の長官を何といいますか。
(17)嵯峨天皇が蔵人頭に任命した人物2名を答えてください。
(18)嵯峨天皇が設置した、京の治安・警備・裁判を行う令外官は何ですか。
(19)律令の律は現代の法律で何にあたりますか。
(20)律令の令は現代の法律で何にあたりますか。
(21)律令格式の格は何ですか。
(22)律令格式の式は何ですか。
(23)平安時代に編纂された弘仁格式、貞観格式、延喜格式を総称して何といいますか。
(24)養老律令の注釈書として政府が編集した官撰注釈書は何ですか。
(25)令義解の完成後に、惟宗直本が令義解やさまざまな私説注釈書をまとめた私撰注釈書は何ですか。
(26)平安時代初期の文化で、密教の影響を受けている文化を何文化といいますか。
(27)『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』を総称して何といいますか。
(28)六国史を菅原道真が編集しなおした国史を何といいますか。
(29)日本最初の勅撰漢詩文集を何といいますか。
(30)空海の私撰漢詩文集は何ですか。
(31)菅原道真の私撰漢詩文集は何ですか。
(32)三筆を答えてください。
(33)三蹟を答えてください。
(34)一族の子弟に教育をほどこすために作られた大学で学ぶ子弟の寄宿舎を何といいますか。
(35)空海が庶民教育のために設立した私立学校は何ですか。
(36)最澄が開いた仏教宗派は何ですか。
(37)空海が開いた仏教宗派は何ですか。
(38)神護寺薬師如来像など、仏像の主な部分を一本の木を彫ってつくる彫刻様式を何といいますか。
(39)室生寺の釈迦如来像などでみられる、仏像の衣のひだを表現する技法を何といいますか。
(40)密教の世界観を表し、中央に大日如来を描いている絵画を何といいますか。
解答
(1)長岡京
(2)藤原種継
(3)早良親王
(4)和気清麻呂
(5)奈良の仏教勢力による政治への影響力をおさえるため
(6)坂上田村麻呂
(7)①多賀城、②胆沢城(いさわじょう)
(8)文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)
(9)健児の制(こんでいのせい)
(10)①30日、②公出挙(くすいこ)
※関連記事:奈良時代の統治体制の問題や解説(班田収授、租庸調、二官八省一台五衛府など)
(11)勘解由使(かげゆし)
(12)薬子の変(平城太上天皇の変)
(13)藤原仲成・藤原薬子
(14)令外官
(15)蔵人所
(16)蔵人頭
(17)藤原冬嗣・巨勢野足(こせののたり)
(18)検非違使
(19)刑法
(20)行政法・民法
(21)律令の補足(時代の変化に合わせて補足するため)
(22)律・令・格の施行細則
(23)三大格式
(24)令義解
(25)令集解
(26)弘仁・貞観文化
(27)六国史
(28)類聚国史
(29)凌雲集
(30)性霊集
(31)菅家文草
(32)空海(くうかい)・嵯峨天皇(さがてんのう)・橘逸勢(たちばなのはやなり)
(33)小野道風(おののみちかぜ)・藤原佐理(ふじわらのすけまさ)・藤原行成(ふじわらのゆきなり)
(34)大学別曹
(35)綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)
(36)天台宗
(37)真言宗
(38)一木造(いちぼくづくり)
(39)翻波式(ほんぱしき)
(40)曼荼羅(まんだら)
※関連記事:平安時代の一問一答:薬子の変から後三年の役まで平安時代の変、乱、合戦を総まとめ
日本史の問題集
最後に日本史のおすすめ問題集を紹介します。
※関連記事:日本史文化史の参考書と覚え方
『金谷の日本史「なぜ」と「流れ」がわかる本 改訂版』
1冊目は日本史参考書の定番、「金谷の日本史」です。古代~近現代まで3冊と文化史1冊の合計4冊に分けて解説してくれています。
内容はオーソドックスで、教科書をさらにくわしく解説してくれています。
すべてじっくり読むというより、問題集で問題を解きつつ因果関係が分かりにくいときに参考書として使う人も多いです。
特に、共通テストを受ける人は『文化史』だけでも読んでおくと役立ちます。
金谷の日本史「なぜ」と「流れ」がわかる本【改訂版】 原始・古代史 (東進ブックス 大学受験 名人の授業)
金谷の日本史「なぜ」と「流れ」がわかる本【改訂版】 中世・近世史 (東進ブックス 大学受験 名人の授業)
金谷の日本史「なぜ」と「流れ」がわかる本【改訂版】 近現代史 (東進ブックス 大学受験 名人の授業)
金谷の日本史「なぜ」と「流れ」がわかる本【改訂版】文化史 (東進ブックス 大学受験 名人の授業シリーズ)
出版社:ナガセ
『日本史B一問一答【必修版】【完全版】』
流れを理解できるようになったら、問題演習をして記憶に定着させる必要があります。
この問題集はそんなときに便利です。
「必修版」と「完全版」に分かれており、現在の学力や志望校のレベルに合わせて選べます。
日本史B一問一答【必修版】 (東進ブックス 大学受験 一問一答シリーズ)
日本史一問一答【完全版】2nd edition (東進ブックス 大学受験 一問一答シリーズ)
出版社:ナガセ
『よくわかる高校日本史探究』
学研が出版している「標準レベルまで」の参考書です。教科書よりも解説がくわしく、日本史探求に苦手意識を持っている人も理解しやすいです。
定期テスト対策用の問題ページもあり、定期テスト対策、中堅レベルまでに大学入試対策に便利です。
よくわかる高校日本史探究 (MY BEST)
出版社:Gakken
まとめ
いかがでしょうか。
高校生向けに日本史で平安時代初期(桓武天皇・嵯峨天皇、弘仁・貞観文化)の一問一答を用意しました。歴史総合や日本史探求のテストに出やすいものをまとめています。
三筆、氏族別の大学別曹まとめ、天台宗と真言宗のまとめ、健児の制、勘解由使・蔵人頭・検非違使などの令外官のまとめなど。
定期テスト対策、大学入試に向けてご活用ください。
奈良時代の問題や解説を下記の記事で紹介しています。
日本史の一問一答:奈良時代の統治体制の問題や解説(班田収授、租庸調、二官八省一台五衛府など)
日本史の一問一答:奈良時代の政治・外交の問題や解説(遣唐使、平城京、蝦夷討伐、土地私有など)
日本史の一問一答:奈良時代の文化の問題や解説(天平文化、古事記・日本書紀・風土記、塑像・乾漆像など)
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