江戸時代には、幕府の財政や社会の安定を目指していくつかの重要な改革が行われました。
中でも「享保の改革」「寛政の改革」「天保の改革」の三大改革は、歴史の定期テストや高校入試で必ずと言っていいほど出題されるテーマです。
さらに、三大改革とは異なるアプローチで幕府財政を立て直そうとした「田沼意次の改革」も覚えておきたいポイントです。
そこで本記事では、中学生の皆さんが理解しやすいように、それぞれの改革の目的や内容、関わった人物についてわかりやすくまとめました。
定期テストや入試で高得点を目指すための重要キーワードや語呂合わせも紹介していますので、ぜひ最後までチェックしてください!
江戸時代の改革とは?|定期テスト・入試で問われる背景を整理

江戸時代の「改革(かいかく)」とは、幕府が行った政治や経済の立て直しのことです。江戸時代の後半、幕府の力が弱まり、財政が苦しくなっていったため、何とかして立て直そうとしたのが「改革」でした。
特に、次のような4つの改革が有名で、定期テストや高校入試でもよく出題されます。
- 享保の改革(徳川吉宗)
- 寛政の改革(松平定信)
- 天保の改革(水野忠邦)
- 田沼意次の政治(田沼の改革とも)
では、なぜこれらの改革が必要になったのでしょうか?
※この章は以下の記事を参考に作成しています。
ベネッセ教育情報「田沼の政治と三大改革の内容の覚え方」
Wikibooks「中学校社会 歴史/社会の変化と江戸幕府」
なぜ改革が必要だったのか?
江戸時代の中ごろから、人々の生活や経済のしくみが少しずつ変化していきました。特に、幕府の収入が減り、支出が増えてしまったことが、大きな問題となりました。これが、改革が必要となった大きな理由です。
江戸時代の政治と経済のしくみ
江戸幕府は、全国の大名を支配する将軍を中心とした政治体制でした。将軍は武士(士農工商の頂点)を支配し、農民から年貢を集めて収入を得ていました。
つまり、幕府や藩の収入は、農民が米で納める年貢(ねんぐ)が基本です。このため、米の生産と物価(ぶっか)が安定していることが、政治を支えるカギだったのです。
ところが、時代が進むにつれて、次のような問題が出てきます。
- 自然災害で米の収穫が減少
- 城や武士の生活費などで支出が増加
- 金貨や銀貨の価値の変動(インフレ)
- 商人の力が強くなり、武士の生活が苦しくなる
これらの変化によって、政治と経済のバランスが崩れていったのです。
財政難と庶民の生活苦が改革の背景
江戸時代の後半には、たびたび飢きん(ききん)が起こり、人々の暮らしは大変苦しくなりました。飢きんとは、天候不順などで作物がとれなくなり、食べ物が不足することです。特に有名なのが、天明のききん(1782~1787年)です。
農民は年貢を納めなければならないのに、米がとれないため生活が困窮。一揆(いっき)や打ちこわしが多く起き、幕府にとっては大きな問題でした。
また、武士も給料(米で支給される)だけでは生活できなくなり、借金を重ねていました。一方で、商人は金をもうけてぜいたくな暮らしをしており、社会のバランスが崩れていたのです。
このようにして、幕府や藩の財政が悪化し、庶民の不満が高まったことで、改革によって社会を立て直そうという動きが始まったのです。
改革の目的と共通点をおさえよう
江戸時代の改革にはいくつかの種類がありますが、共通する目的は「幕府の力を取り戻すこと」です。特に、次のような共通点が見られます。
- 幕府や藩の財政を立て直す
- 武士や農民の生活を安定させる
- 社会の秩序を保つために、ぜいたくを禁止する
- 倫理や学問を重んじて、民衆の考え方を正す
改革を行った人物たちは、それぞれの立場で工夫をしましたが、いずれも「このままでは江戸幕府は続かない」と感じていたのです。
このような背景や目的を理解しておくと、各改革の内容を学ぶときに、より理解しやすくなります。
【第1の改革】享保の改革(8代将軍 徳川吉宗)
江戸時代に行われた三大改革の中で、最も早く行われたのが享保(きょうほう)の改革です。この改革を行ったのは、8代将軍・徳川吉宗(とくがわ よしむね)です。
享保の改革は、江戸幕府の財政を立て直すとともに、庶民の暮らしを安定させることを目的に行われました。
※参考:5分でわかる!徳川吉宗の「享保の改革」(Try It)
徳川吉宗とはどんな人物?
徳川吉宗は、紀伊(きい)藩の藩主であり、家康の血筋を持つ親藩の出身です。7代将軍の徳川家継が若くして亡くなったあと、将軍後継者争い(正徳の治の後)の中で選ばれ、8代将軍になりました。
吉宗は、それまでの将軍と違い、質素倹約を重んじる実務型の政治家でした。庶民の生活にも目を向け、「暴れん坊将軍」としてテレビドラマでも有名です。自ら現場の声を聞き、積極的に改革に取り組みました。
享保の改革の主な内容と狙い
享保の改革のキーワードは、「財政の再建」「倹約」「庶民の声の活用」です。幕府の支出を減らし、収入を増やすために様々な政策が実行されました。
目安箱の設置と庶民の声
享保の改革の特徴的な政策の一つが、目安箱(めやすばこ)の設置です。
- 将軍が江戸城に箱を置き、町人や百姓が意見や要望を出せるようにした制度
- これによって、幕府は庶民の声を直接聞いて政治に活かすことができるようになりました
たとえば、「町医者を増やしてほしい」という意見から、小石川養生所(こいしかわようじょうしょ)という貧しい人のための病院が作られたことも有名です。
これは、将軍が下の身分の人々にも目を向けていたことを示す重要な改革です。
上米の制と倹約令
吉宗は、幕府の財政を立て直すために、大名や幕府自身に対して節約を求める政策を行いました。
- 上米(あげまい)の制:
- 大名に対して、石高の一部を米として幕府に納めさせる制度
- その代わりに、大名の参勤交代を毎年→2年に1回に緩和
- 幕府の収入を増やし、大名の負担も軽減するバランスのとれた政策
- 倹約令:
- 将軍自身がまずぜいたくをやめ、質素な生活を実践
- 庶民にも無駄遣いを避けるよう命じ、支出を全体的に抑える方向へ
これらの政策は、財政難の中で少しでも支出を減らし、幕府を維持することが目的でした。
公事方御定書で裁判ルールを統一
吉宗は、裁判や法律の分野でも改革を行いました。
- 公事方御定書(くじかたおさだめがき):
- 1742年に制定された、幕府による裁判のルールをまとめた法令集
- 上巻・下巻の2部構成で、犯罪の処罰や民事トラブルの解決方法が細かく書かれている
- これにより、裁判の基準が統一され、公平な判断ができるようになった
この法令は、後の時代の法制度にも影響を与えるほど画期的でした。
定期テスト対策|よく出るキーワードと人物名
享保の改革は、中学の定期テストや高校入試で非常によく出題されます。以下の人物名とキーワードはしっかり覚えておきましょう。
用語・人物名 | 意味・ポイント |
---|---|
徳川吉宗 | 8代将軍。ドラマ「暴れん坊将軍」としても有名。享保の改革を行った |
享保の改革 | 1716年から始まった江戸幕府の立て直し改革。財政再建が主な目的 |
目安箱 | 庶民の意見を集める箱。小石川養生所の設立にもつながった |
上米の制 | 大名から米を納めさせる代わりに参勤交代を緩和した制度 |
倹約令 | ぜいたくを禁じ、幕府の支出を抑えようとした政策 |
公事方御定書 | 幕府の裁判ルールを統一した法令集。公平な裁判を目指した |
【第2の改革】寛政の改革(老中 松平定信)
寛政の改革(かんせいのかいかく)は、江戸幕府が行った三大改革の2番目にあたります。改革を主導したのは老中・松平定信(まつだいら さだのぶ)で、18世紀後半に起こった天明のききんのあと、混乱した社会と財政を立て直すために行われました。
※参考:5分でわかる!松平定信の「寛政の改革」 (Try It)
松平定信の人物像と将軍との関係
松平定信は、徳川家の一族にあたる「御三卿(ごさんきょう)」の一つ、田安家の出身で、身分の高い人物です。つまり、将軍家と血のつながりがある「親戚」のような存在でした。
定信が老中として登場した背景には、1782年から続いた「天明のききん」がありました。このときの将軍は11代・徳川家斉(とくがわ いえなり)で、まだ若かったため、政治の中心は定信が握っていました。
松平定信は、先代の吉宗を理想の政治家と考えていたため、享保の改革にならって、より厳格な政治改革を行ったのです。
寛政の改革のポイントまとめ
寛政の改革の基本方針は、「倹約・道徳の重視・農村の復興」です。財政を立て直すだけでなく、社会の秩序や人々の心のあり方まで見直そうとしました。
倹約と朱子学の重視
松平定信は、ぜいたくな暮らしが社会を乱すと考え、幕府や庶民に倹約(けんやく)を命じました。これは、享保の改革と同じように支出を減らすためでもあります。
また、政治や教育の面では、朱子学(しゅしがく)を正学として重視しました。朱子学とは、人の道・道徳・上下関係を重んじる学問で、当時の支配秩序を守るためにふさわしいと考えられていたのです。
朱子学を教えるために、昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ)という学問所を整備し、武士や官僚に道徳教育を徹底させました。
囲い米・旧里帰農令とは?
農村の再建をめざして行った重要な政策が、「囲い米(かこいまい)」と「旧里帰農令(きゅうりきのうれい)」です。
- 囲い米:
- 各藩に対して、お米を備蓄(ほぞん)しておくよう命じた制度
- ききんが起きたときに備え、飢えに苦しむ人々を助けるための制度
- 旧里帰農令:
- 江戸や大坂などに出てきた農民に対し、ふるさとの村へ帰って農業をするようすすめた命令
- 農民の数を確保し、年貢を安定して集めることが目的
これらの政策は、単に経済だけでなく、農村社会の安定と再生を目指した改革でした。
高校入試頻出ポイントと一問一答リンク
寛政の改革では、以下のような人物名・制度名・目的がテストや入試でよく問われます。覚えておくべき重要ポイントを以下にまとめます。
用語・人物名 | 意味・ポイント |
---|---|
松平定信 | 寛政の改革を行った老中。徳川吉宗の政治を理想とした |
徳川家斉 | 寛政の改革が行われたときの11代将軍。定信が政治を主導 |
倹約令 | 幕府や庶民にぜいたくを禁止し、財政を引きしめた |
朱子学 | 道徳・礼儀を重んじる学問。幕府が公式の学問とした |
昌平坂学問所 | 朱子学を教える学校。官僚教育の中心地 |
囲い米 | 飢きんに備え、米をたくわえる制度 |
旧里帰農令 | 都市に出た農民を村に帰らせて農業をさせる命令 |
【第3の改革】天保の改革(老中 水野忠邦)
天保の改革(てんぽうのかいかく)は、江戸幕府が行った三大改革の最後のもので、1841年ごろに始まりました。改革を進めたのは、老中(ろうじゅう)という高い役職にあった水野忠邦(みずの ただくに)です。
この改革では、経済の立て直しと幕府の権力強化が目指されましたが、結果的に成功とは言えませんでした。
※参考:5分でわかる!水野忠邦の「天保の改革」(Try It)
水野忠邦が改革を行った理由とは?
水野忠邦が天保の改革を始めた背景には、以下のような社会の混乱があります。
◉背景1:天保のききん(1833〜1839年)
- 雨が少なく冷夏が続き、全国的に大飢饉が発生
- 多くの農民が苦しみ、一揆や打ちこわしが多発
◉背景2:物価の上昇と都市の混乱
- 米の価格が上がり、庶民の生活が困窮
- 一部の豪商(ごうしょう)や地主が利益を独占し、貧富の差が拡大
このような状況に対して水野忠邦は、幕府の支配力を強化し、社会の秩序を回復させるための改革を始めました。
天保の改革の主な内容をチェック
天保の改革は、特に経済と社会の秩序を見直すことに重点が置かれました。中でも重要な2つの政策が「株仲間の解散」と「人返し令・上知令」です。
株仲間の解散
株仲間(かぶなかま)とは、幕府の許可を受けて商売をしていた商人のグループ(同業組合)です。株仲間が許可制になったことで、一部の商人だけが独占的にもうけていた状況が生まれていました。
- 水野忠邦は、「商人が価格を勝手に決めているのが物価高騰の原因」と考えた
- よって、商人の独占を防ぐために株仲間を解散
- しかし、商業の混乱や流通の停滞が起こり、逆効果になる
株仲間の解散は、物価を下げる狙いでしたが、実際には経済活動が不安定になる結果となってしまいました。
人返し令と上知令
これらの政策は、都市の人口や土地に関する支配を強めようとしたものです。
- 人返し令(ひとかえしれい):
- 江戸や大坂に流れ込んだ農民を、もとの村に帰すよう命じた法令
- 農民が都市に増えすぎると、治安が悪化するのを防ぐために出された
- しかし、農村に戻っても生活は苦しいままで、実効性がなかった
- 上知令(あげちれい):
- 江戸や大坂周辺の大名や旗本の土地を幕府の直轄地にしようとした法令
- 幕府の収入を増やし、都市の支配を強化することが狙い
- だが、土地を奪われそうになった大名たちの強い反発にあい、実現できず失敗
これらの政策は、幕府の力を取り戻すことが目的でしたが、庶民や大名の反発が強く、うまくいきませんでした。
改革の成果と失敗を比較しよう
天保の改革は、目的こそ明確でしたが、結果としては失敗に終わったと評価されることが多いです。以下に、改革の成果と失敗を比較してまとめます。
視点 | 成果 | 失敗・課題 |
---|---|---|
経済 | 商人の独占を制限しようとした(株仲間解散) | 商業の混乱・物価の不安定化 |
社会 | 秩序回復をめざした(人返し令) | 実際には農民の生活改善につながらず |
政治 | 幕府の権限を強化しようとした(上知令) | 大名の反対で失敗、幕府の信頼も失墜 |
全体の評価 | 幕府が積極的に改革に取り組んだ姿勢は見られる | しかし現実には、庶民の信頼を回復できず、改革は途中で終わる |
まとめポイント:
- 水野忠邦は、天保の改革で幕府の再建を目指したが、現実の問題に対応しきれず失敗した
- 特に、上知令の失敗は幕府の威信を大きく下げ、改革自体も中途半端で終わった
田沼意次の改革|三大改革とは異なる経済政策に注目
江戸時代の改革といえば、「享保の改革」「寛政の改革」「天保の改革」の三大改革がよく知られていますが、それとは別に注目すべき存在が「田沼意次(たぬまおきつぐ)」の改革です。田沼意次は、将軍の側近である老中として、財政難を立て直すために大胆な経済政策を行いました。特に、商業の発展を重視し、貨幣経済を活用しようとした点が、他の改革と大きく異なる特徴です。
定期テストや高校入試でも、田沼意次の改革は三大改革とセットで問われることが多く、その違いをしっかり理解しておくことが大切です。
※参考:5分でわかる!田沼意次の「わいろ政治」(Try It)
田沼意次とはどんな人物か?
田沼意次は、9代将軍・徳川家重、10代将軍・徳川家治の時代に老中として活躍しました。特に家治からの信頼が厚く、将軍の側近中の側近として、幕政を主導しました。
彼はそれまでの「質素・倹約」中心の政策から一転して、「経済の活性化」によって幕府の財政を立て直そうとしたのです。
田沼意次のように、商人や経済活動に注目した政治家は、当時としては非常に珍しく、彼の政策は大きな注目を集めました。
田沼の政策の特徴とその影響
田沼意次の改革の大きな特徴は、「商業の振興」を通じて幕府の財政を支えようとした点にあります。従来の幕政が農業中心だったのに対し、田沼は都市や商業の力を重視しました。
株仲間の奨励と営業税
田沼意次は、「株仲間(かぶなかま)」と呼ばれる商人の組合を公認し、積極的に認可しました。これは、商人たちに営業の権利を与える代わりに、幕府が「営業税(えいぎょうぜい)」を取って収入源とする仕組みです。これにより、幕府の財政は一時的に潤いました。
この政策は、今でいう「市場の自由化」に近く、幕府としては画期的な手法でした。
印旛沼開発と賄賂問題
田沼はさらに、新しい農地を開発することで年貢収入を増やそうと考え、「印旛沼(いんばぬま)」の干拓工事を進めました。しかし、大規模な土木事業は失敗に終わり、逆に財政を悪化させました。
また、田沼の政治では賄賂が横行したとも言われ、役人や商人との癒着が問題視されました。「田沼政治=賄賂政治」と批判されることも多く、彼の政策への不信感が高まりました。
田沼意次の改革が失敗に終わった理由
田沼意次の改革は、短期的には一定の効果をあげましたが、長期的には次のような理由で失敗に終わりました。
- 商業重視が武士階級に受け入れられなかった
幕府の支配層である武士たちは、農業中心の社会秩序を重視しており、商人の力が強まることに反発しました。 - 天災の影響(天明の大飢饉など)
政策自体の評価とは別に、田沼の時代には「天明の大飢饉」など自然災害が重なり、農村の困窮が深刻化しました。これにより田沼の政策はうまくいかなかったとされます。 - 将軍家治の死と政権交代
田沼を支持していた家治が亡くなると、彼の政治基盤が一気に崩れ、失脚につながりました。
入試で問われる!田沼意次のキーワードまとめ
田沼意次の改革は、入試で「三大改革との違い」に注目して問われることが多いため、次のキーワードは要チェックです。
- 田沼意次(老中)
- 株仲間の奨励
- 印旛沼干拓
- 賄賂政治
- 商業重視の政策
- 天明の大飢饉
三大改革と田沼意次の改革を比較しよう
江戸時代の改革は、大きく「享保の改革」「寛政の改革」「天保の改革」の三大改革と、それとは別の「田沼意次の改革」に分けられます。
この4つの改革はそれぞれ目的や方法、結果が異なるため、まずは以下の表でわかりやすく整理しましょう。
改革の目的・方法・結果を表で整理
改革名 | 主なリーダー | 目的 | 主な方法 | 結果・評価 |
---|---|---|---|---|
享保の改革 | 徳川吉宗(8代将軍) | 幕府の財政立て直しと庶民の声を反映 | 目安箱設置、上米の制、倹約令、公事方御定書 | 一定の成果あり。安定の基盤を築く |
寛政の改革 | 松平定信(老中) | 財政再建と道徳教育の徹底 | 倹約令、朱子学の重視、囲い米、旧里帰農令 | 道徳教育が強化されるが社会問題は残る |
天保の改革 | 水野忠邦(老中) | 財政再建と幕府権力の強化 | 株仲間解散、人返し令、上知令 | 反発が強く失敗に終わる |
田沼意次の改革 | 田沼意次(老中) | 商業振興による財政改善 | 株仲間奨励、営業税、印旛沼開発 | 一時的な成功も賄賂問題で批判される |
改革の中で最も成功したのはどれ?
三大改革の中では、享保の改革が最も成功したと評価されることが多いです。
理由は、幕府の財政を立て直しつつ庶民の声を政治に取り入れた点や、裁判制度の整備など、社会の安定を図ったからです。
一方、寛政の改革は道徳教育を徹底しましたが、社会問題の根本的な解決には至らず、天保の改革は幕府と大名・庶民の対立を生み失敗しました。
田沼意次の改革は商業活性化で一時的に成功しましたが、賄賂問題などで批判され、長続きしませんでした。
【まとめ】江戸時代の改革はこう覚える!語呂合わせ&暗記法
江戸時代の改革は複雑に見えますが、語呂合わせを使うと覚えやすくなります。
覚えやすい語呂合わせ
- 「京都(享保)の沼(田沼)で歓声(寛政)をあげる天保さん」
(享保、田沼意次、寛政、天保の改革を順に覚える語呂) - 享保の改革:目安箱で庶民の声を聞き、倹約で財政を立て直す
- 田沼の改革:商業を奨励し営業税で財政を補うが賄賂も横行
- 寛政の改革:朱子学で道徳教育を強化し、囲い米で農村を守る
- 天保の改革:株仲間解散、人返し令で社会を引き締めるが失敗
図解では、各改革の目的や主な政策、成果・課題を比較したマトリックスを用意すると理解が深まります。
こんな形でテストに出る!記述問題の例と答え方
例題:「享保の改革と田沼意次の改革の違いを簡潔に説明しなさい」
答え方のポイント:
- 享保の改革は幕府の財政立て直しと庶民の意見を重視し、倹約を中心とした政策が特徴。
- 田沼意次の改革は商業振興を重視し、株仲間を奨励し営業税を取ったが、賄賂問題もあった。
- 政策の目的と方法の違いを端的にまとめることが大切。
江戸時代の改革 一問一答問題はこちら▶
日々の学習やテスト直前の復習に便利な一問一答問題をこちらでまとめています。ぜひ活用してください。
よくある質問(FAQ)で復習しよう
田沼意次の改革と三大改革の違いは?
田沼意次の改革は、商業の発展を重視し、株仲間の奨励や営業税を導入しました。
一方、三大改革は主に幕府の財政再建や社会秩序の回復を目的とし、倹約令や道徳教育、飢饉対策などが中心でした。
なぜ改革はうまくいかなかったの?
多くの改革が失敗した理由は、幕府の財政や社会問題が根深く、自然災害や民衆の反発も大きかったからです。
また、改革に反対する大名や既得権益者の抵抗も強く、思うように政策を進められませんでした。
三大改革の中で一番成功したのはどれ?
最も成功したのは享保の改革と評価されることが多いです。
幕府の財政を安定させ、庶民の声を政治に反映させる仕組みを作ったことや、公正な裁判制度の整備などが功績とされています。
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