高校生向けに日本史の一問一答問題と解説を用意しました。今回は平安時代の律令体制の変化(受領・遥任、荘園整理令、院政のはじまりなど)をまとめています。
歴史総合や日本史探求の定期テスト対策、大学入試対策などにご活用ください!
※関連記事:日本史年号一覧:覚えやすい語呂合わせと入試によく出る重要な出来事
荘園公領制とは何か?—仕組みと特徴
743年の墾田永年私財法以来、全国に荘園が増えはじめました。朝廷が管理する公領と貴族や寺社が所有する荘園に分かれていました。それを荘園公領制と呼びます。
荘園公領制の誕生と背景
荘園公領制は、平安時代中期から始まった土地制度で、朝廷が管理する土地(公領)と、貴族や寺社が支配する荘園が併存した仕組みを指します。
この制度では、公領は主に国司が管理し、荘園は貴族や寺社が農民に貸し出して運営されました。農民は収穫物の一部を税として納めることで、耕作権を認められる形態でした。
この制度の背景には、律令制の崩壊と中央政府の地方支配力の低下がありました。公領の税収が減少する一方で、荘園領主が強力な経済基盤を築くことが可能になり、地方の分権化が進みました。
公領と荘園の違い
「公領」は国家が直接管理する土地であり、そこでの収益は政府の財政に充てられていました。
一方、「荘園」は貴族や寺社、後に武士などが私的に管理する土地で、中央政府への納税義務が免除されることが多かったのが特徴です。
公領は国司が運営し、収益を中央に送る仕組みでしたが、荘園は寄進を受けた貴族や寺社が領主として農民から年貢を徴収しました。
この違いが地方社会における権力構造を大きく変え、地方分権化を進める要因となりました。
荘園公領制が成立した流れ
荘園公領制は、平安時代中期に成立しました。当時、律令制の崩壊により、朝廷の支配力が地方に及ばなくなりました。
この中で、土地所有者が自分の土地を有力貴族や寺社に寄進し、その保護を受ける寄進地系荘園が拡大。
これにより、税の免除特権が得られ、地方社会では荘園が広がりました。同時に、朝廷の管理下に残った土地(公領)が国司により運営され、荘園と公領が併存する形で制度が成立しました。
寄進地系荘園とは?
荘園公領制は朝廷が管理する荘園ですが、有力者に寄進して税を免除してもらう荘園もありました。それが寄進地系荘園です。
寄進地系荘園の仕組みと目的
寄進地系荘園とは、地方の土地所有者が自らの土地を有力な貴族や寺社に寄進し、その代わりに免税特権や庇護を得る形式の荘園です。
この仕組みは、地方豪族や農民が過重な税負担から逃れるための手段として広まりました。
寄進により土地の名目上の所有者が中央の有力者に移り、その庇護の下で農民が耕作を続ける形が取られました。この仕組みによって、貴族や寺社は財政基盤を強化し、地方勢力との関係を深めました。
貴族・寺社・武士の利害関係
荘園は、貴族や寺社だけでなく武士にとっても重要な経済基盤となりました。
貴族や寺社は荘園の収益を維持するため、武士を雇い土地を守らせました。一方、武士はその代わりに領地を得て経済力を高めました。
この関係により、荘園は単なる土地管理の枠を超えて、社会的な権力構造を支える役割を果たしました。
荘園整理令とは?—歴史とその影響
全国に荘園、特に寄進地系荘園が増えたことで朝廷の収入が減り、逆に貴族や寺社の勢力が大きくなりました。この状況を変えて朝廷の収入を増やすため、荘園整理令が出されました。
荘園整理令の発令背景
平安時代後期、荘園が急増した結果、国家の財政基盤が弱体化しました。これに対し、天皇や幕府は荘園を整理し、国家の収入を確保するために荘園整理令を発布しました。整理令は律令体制の崩壊を防ぐための措置であり、特に寺社勢力や有力貴族に向けて不正な土地の返納を求めました。
延喜の荘園整理令(902年)
醍醐天皇が発布した延喜の荘園整理令は、律令国家の再建を目指し、無許可で開発された荘園を整理し、公地公民制の維持を図るものでした。
具体的には、国司に対して許可のない荘園を検証し、違反があれば没収するよう命じました。この施策は地方行政の強化を意図していましたが、地方豪族や寺社勢力の抵抗によって実効性が限定され、目立った成果を上げるには至りませんでした。
延久の荘園整理令(1069年)
後三条天皇による延久の荘園整理令は、院政の前段階における政治改革の一環でした。このときの荘園整理令では、不正な寄進や荘園化を厳しく取り締まり、国司や中央における官僚による監査が行われました。
違法な荘園は没収され、収益が国家に戻されることとなり、中央集権化と財政基盤の強化が進められました。
特に後三条天皇は、荘園領主層の力を抑える意図を持ってこの改革を断行したとされています。
荘園整理令の効果
これら2つの整理令はいずれも公地公民制を支える試みでした。一部の荘園は返納されましたが、強力な貴族や寺社の抵抗により大部分は存続しました。
結局、社会経済構造の変化により、荘園制自体を根本的に変えることはできず、後の時代に荘園制がさらに拡大する要因となりました。
荘園の拡大が日本社会に与えた影響
荘園、特に寄進地系荘園が広がったことで、当時の日本社会に大きな影響がありました。
武士階級の台頭と政治体制の変化
荘園の拡大は、武士の台頭を促しました。荘園を守るために登用された武士たちは、次第に地方の実力者として成長し、保元の乱・平治の乱、そして鎌倉幕府の成立に繋がりました。
この流れは、中央集権から地方分権へと移行する大きな転換点となりました。
なお、保元の乱から鎌倉幕府成立までの戦乱について以下の記事でくわしく解説しています。
保元の乱や治承寿永の乱から鎌倉幕府の成立までの解説と一問一答問題:高校日本史のテスト対策完全ガイド
荘園の消滅と近世の土地制度への移行
中世末期には戦国時代の混乱によって荘園制度が崩壊し、江戸時代の幕藩体制の下で土地制度が再編されました。
荘園は廃止され、領主と農民の関係が明確化される近世的な土地制度が確立しました。
高校日本史テスト対策—荘園公領制の重要ポイント
高校の日本史のテストでは、荘園についてよく問われます。その重要ポイントを解説します。
押さえるべきキーワードと年号
- 荘園公領制(10世紀~12世紀)
- 定義: 平安時代に、国家が管理する公領と、貴族や寺社が支配する荘園が並立した土地制度。
- 背景: 律令制の崩壊に伴い、地方で税負担を逃れるため、土地の寄進が増加。結果として、荘園が拡大し、国家財政の基盤が弱体化。
- 関連人物・用語: 国司、貴族、荘園領主(荘園領主には藤原氏や清和源氏などの権力者も含まれる)。
- 寄進地系荘園(10世紀中期)
- 定義: 地方の土地所有者が、有力な貴族や寺社に土地を寄進し、名目的な所有権を移すことで免税や庇護を受ける仕組み。
- 背景: 地方豪族が、重税から逃れるために利用した方法。中央の貴族や寺社はこれにより財政基盤を強化した。
- 関連用語: 「寄進」、荘園領主、荘官(荘園の管理者)。
- 荘園整理令(11世紀後半)
- 定義: 国家が乱立した荘園を整理し、税収を安定させるために発令した法令。
- 背景: 荘園が急増した結果、公領の収益が減少し、財政難に陥った政府が改革を試みた。
- 主な内容: 不正な寄進の証明を求め、証明できない荘園の没収。
- 成果と影響: 一部の荘園廃止に成功するも、強力な貴族や寺社に阻まれ、十分な成果は上がらなかった。結果的に地方分権が進行。
テストによく出る記述問題の例と解き方
以下に荘園公領制に関する記述問題の例とその解説を示します。
例題1:
「荘園公領制が成立した背景を、税制や社会状況に触れて述べなさい。」
解答例:
律令制の崩壊により、中央政府は地方の支配力を弱めた。農民は重税から逃れるために土地を有力貴族や寺社に寄進し、結果として免税特権を持つ荘園が増加した。この仕組みが荘園公領制の成立を可能にした。
ポイント:
- 律令制の崩壊
- 農民の寄進と免税特権
- 荘園の増加による地方分権化
例題2:
「寄進地形荘園が拡大した理由と、それが国家財政に与えた影響を述べなさい。」
解答例:
地方豪族は重税から逃れるため、有力な貴族や寺社に土地を寄進した。これにより、免税特権を持つ荘園が拡大し、国家の税収基盤が弱体化した。さらに、地方の支配が荘園領主に移り、中央集権が崩れた。
ポイント:
- 地方豪族の寄進動機
- 荘園の免税特権
- 国家財政の弱体化
例題3:
「荘園整理令の目的と、その成果について述べなさい。」
解答例:
荘園整理令は、不正な寄進を防ぎ、国家の税収基盤を回復することを目的に発令された。しかし、強力な貴族や寺社の反発により、十分な成果を上げることはできず、地方分権が進行した。
ポイント:
- 発令目的(不正寄進防止、財政回復)
- 荘園整理令の内容
- 成果の限界とその影響
例題4:
「荘園公領制が武士の台頭に与えた影響を具体的に述べなさい。」
解答例:
荘園領主は土地を守るために武士を雇用した。武士は荘園を拠点に力を蓄え、地方の実力者として台頭した。この流れは、後の鎌倉幕府成立の基盤となった。
ポイント:
- 荘園と武士の関係
- 武士の経済基盤強化
- 鎌倉幕府への繋がり
例題5:
「荘園の消滅が近世の土地制度に与えた影響について述べなさい。」
解答例:
中世末期、戦国時代の混乱により荘園制度は崩壊した。これにより、土地制度が再編され、江戸時代には幕藩体制のもとで土地の支配権が領主に集中した。
ポイント:
- 戦国時代の混乱による荘園の崩壊
- 幕藩体制への移行
- 地主制の確立
平安時代の荘園に関する一問一答問題【高校日本史】
(1)平安時代の中期には租税から逃れるために浮浪や逃亡、戸籍をいつわる農民が多数出てくるようになりました。戸籍をいつわることを何といいますか。
(2)朝廷は財源を確保するため、大規模な直営田の経営に力を入れるようになりました。そのうち、大宰府が経営する直営田を何といいますか。
(3)朝廷が畿内で経営する直営田を何といいますか。
(4)天皇家の財源にあてられた直営田を何といいますか。
(5)902年に醍醐天皇は違法な私有田をなくすための法令を出しました。何という法例ですか。
(6)三善清行が醍醐天皇に提出した国家財政窮乏の原因と対策を記した書物を何といいますか。
(7)国司は次第に地元の有力農民に荘園・国衙領の経営を任せるようになりました。経営を任された百姓のことを何といいますか。
(8)田堵が経営を請け負った田を何といいますか。
(9)任国に赴任せずに代わりに目代を派遣する国司のことを何といいますか。
(10任国に赴任して自ら徴税を行う国司を何といいますか。
(11)受領(自ら任国に赴いて徴税する国司)になるのは、上級貴族と下級貴族のどちらのほうが多かったですか。
(12)藤原氏などに賄賂をわたして有力な任国の国司に任命されることを何といいますか。
(13)成功などによって、同じ任国の国司に再任されることを何といいますか。
(14)開発領主が租税や略奪をのがれるために中央の有力者(藤原氏や寺社など)に寄進した土地を何といいますか。
(15)開発領主から寄進された土地はさらに上級の貴族や皇族に寄進されることがありました。このとき、①開発領主から寄進を受けた貴族や寺社、②①の貴族や寺社からさらに寄進を受けた上級貴族・皇族を何といいますか。
(16)荘園領主から荘園の管理を任された人を何といいますか。
(17)寄進地系荘園の税について、田堵が荘官に納める米などの税を何といいますか。
(18)寄進地系荘園の税について、田堵が荘官に納める特産物の税を何といいますか。
(19)寄進地系荘園の税について、田堵が荘官の命令で労役をする税を何といいますか。
(20)荘園にはいくつか特権が認められました。そのうち、税を取り立てられない権利を何といいますか。
(21)荘園の特権のうち、役人の立ち入りを拒否できる権利を何といいますか。
(22)1069年、後三条天皇は1045年以降の新しい荘園を廃止するなど荘園を減らして朝廷の収入を増やす法令を出しました。この法令を何といいますか。
(23)延久の荘園整理令を建議した学者は誰ですか。
(24)延久の荘園整理令では、荘園としての証拠を提出させる機関が設置されました。この機関を何といいますか。
(25)後三条天皇は全国の枡の大きさを統一しました。この統一された枡を何といいますか。
(26)院政を開始した人物は誰ですか。
(27)院政では政治を行う役所が置かれました。この役所を何といいますか。
(28)院庁の役人を何といいますか。
(29)白河上皇は院司に自身の近臣を任命しました。こうした、上皇の近臣を何といいますか。
(30)院庁から出される命令文を何といいますか。
(31)院庁下文に対して、上皇から直接出される命令文を何といいますか。
(32)白河上皇は兵士をかかえて軍事力を持ちました。この兵士を何といいますか。
(33)院に対して仏教勢力はたびたび反抗しました。そのうち、奈良にある仏教勢力を何といいますか。
(34)院に対して強い力を持った仏教勢力について、京都・平安京の北にある仏教勢力を何といいましたか。
(35)南都の中心的な寺院は何ですか。
(36)北嶺の中心的な寺院は何ですか。
(37)白河天皇から近衛天皇にいたるまで、各天皇や中宮の発願によって建立された六つのお寺をまとめて何といいますか。
(38)六勝寺を六つとも答えてください。
解答
(1)偽籍
(2)公営田(くえいでん)
(3)官田(かんでん)
(4)勅旨田(ちょくしでん)
(5)延喜の荘園整理令
(6)三善清行意見封事十二箇条
(7)田堵
(8)名(名田)
(9)遥任(ようにん)
(10受領(ずりょう)
(11)下級貴族
(12)成功(じょうごう)
(13)重任(ちょうにん)
(14)寄進地系荘園
(15)①領家、②本家
(16)荘官
(17)年貢
(18)公事(くじ)
(19)夫役(ぶやく)
(20)不輸の権
(21)不入の権
(22)延久の荘園整理令
(23)大江匡房
(24)記録荘園券契所
(25)宣旨枡(延久宣旨枡)
(26)白河上皇
(27)院庁(いんのちょう)
(28)院司(いんし)
(29)院の近臣
(30)院庁下文(いんのちょうくだしぶみ)
(31)院宣(いんぜん)
(32)北面の武士
(33)南都
(34)北嶺
(35)興福寺
(36)延暦寺
(37)六勝寺
(38)法勝寺、尊勝寺、最勝寺、円勝寺、成勝寺、延勝寺
荘園をめぐる院と寺院の争い:南都北嶺と六勝寺
院に対して仏教勢力はたびたび徒党を組んで自身の荘園を守ろうとしました。これを強訴と言います。強訴をしていた仏教勢力は南都と北嶺に分かれていました。
また、朝廷や院にとっては厄介な存在ですが、同時に天皇も仏教をあつく信仰してお寺を建立していました。このお寺6つをまとめて六勝寺と呼びます。
南都北嶺のまとめ
強訴をする仏教勢力を以下の表にまとめています。
場所 | 中心寺 | 強訴方法 | |
南都 | 奈良 | 興福寺 | 春日神社の神木をかざす |
北嶺 | 京都 | 延暦寺 | 日吉神社の神輿をかざす |
六勝寺のまとめ
南都北嶺に対して、天皇や中宮の発願で建立された六勝寺を以下の表にまとめています。
建立した天皇・中宮 | |
法勝寺 | 白河天皇 |
尊勝寺 | 堀河天皇 |
最勝寺 | 鳥羽天皇 |
円勝寺 | 鳥羽天皇の皇后 |
成勝寺 | 崇徳天皇 |
延勝寺 | 近衛天皇 |
日本史の問題集
最後に日本史のおすすめ問題集を紹介します。
※関連記事:日本史文化史の参考書と覚え方
『金谷の日本史「なぜ」と「流れ」がわかる本 改訂版』
1冊目は日本史参考書の定番、「金谷の日本史」です。古代~近現代まで3冊と文化史1冊の合計4冊に分けて解説してくれています。
内容はオーソドックスで、教科書をさらにくわしく解説してくれています。
すべてじっくり読むというより、問題集で問題を解きつつ因果関係が分かりにくいときに参考書として使う人も多いです。
特に、共通テストを受ける人は『文化史』だけでも読んでおくと役立ちます。
金谷の日本史「なぜ」と「流れ」がわかる本【改訂版】 原始・古代史 (東進ブックス 大学受験 名人の授業)
金谷の日本史「なぜ」と「流れ」がわかる本【改訂版】 中世・近世史 (東進ブックス 大学受験 名人の授業)
金谷の日本史「なぜ」と「流れ」がわかる本【改訂版】 近現代史 (東進ブックス 大学受験 名人の授業)
金谷の日本史「なぜ」と「流れ」がわかる本【改訂版】文化史 (東進ブックス 大学受験 名人の授業シリーズ)
出版社:ナガセ
『日本史B一問一答【必修版】【完全版】』
流れを理解できるようになったら、問題演習をして記憶に定着させる必要があります。
この問題集はそんなときに便利です。
「必修版」と「完全版」に分かれており、現在の学力や志望校のレベルに合わせて選べます。
日本史B一問一答【必修版】 (東進ブックス 大学受験 一問一答シリーズ)
日本史一問一答【完全版】2nd edition (東進ブックス 大学受験 一問一答シリーズ)
出版社:ナガセ
『よくわかる高校日本史探究』
学研が出版している「標準レベルまで」の参考書です。教科書よりも解説がくわしく、日本史探求に苦手意識を持っている人も理解しやすいです。
定期テスト対策用の問題ページもあり、定期テスト対策、中堅レベルまでに大学入試対策に便利です。
よくわかる高校日本史探究 (MY BEST)
出版社:Gakken
まとめ
いかがでしょうか。
高校生の日本史の勉強用に、平安時代の律令体制の変化の一問一答を用意しました。
直営田と寄進地系荘園、田堵、延喜・延久の荘園整理令、白河上皇による院政、南都北嶺、六勝寺など歴史総合や日本史探求のテストに出やすいものをまとめています。
定期テスト対策、大学入試に向けてご活用ください。
平安時代の解説や問題について、下記の記事でも紹介しています。
【日本史の一問一答】平安時代初期(桓武天皇・嵯峨天皇)の問題や解説:三筆、天台宗と真言宗のまとめなど
平安時代の一問一答:薬子の変から後三年の役まで平安時代の変、乱、合戦を総まとめ
日本史の一問一答:平安時代末の保元の乱、平治の乱、治承・寿永の乱まで(源平合戦)の問題と解説
日本史の一問一答:国風文化のまとめ(平安時代中期の文化:三蹟、古今和歌集など)
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